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SNS断ち。

SNS断ちからかれこれ1週間と半分くらいが経つ。
といってもFBは断てていないので、完璧とは言えないのだけど、それでも、
だんだんと時間の密度が濃くなってきたような実感が出てきた。
SNSがすべて悪いというわけではないのだけど、でも見たいから見る、というよりは、スマホの画面ロックを外すと、体が勝手にアプリを開く、という状態になっていたと思う。それは前にも書いたけれど、ドーパミンという物質のせいらしい。
脳も自分の体の一部とはいえ、自分というよりも脳がスマホを求めている感覚だった。

だからとりあえずアプリを消した。そうすると、消してから2、3日はスマホを開いてSNSを開こうとする自分がいた。しかしそこにSNSはない。なので、別のアプリを開く。例えば漫画のアプリ、例えばYoutube、などなど。SNS以外にもスマホにはありとあらゆる魅力が詰まっている。
とりあえず、自分が「見たくて見る」しか許したくなかったので、スマホを開いた後に勝手に体が動くものは全部消した。すると、自分の脳はだんだんスマホ自体への興味が薄れてきたのか、スマホにドーパミンを放出しなくなってきた。結構簡単に見えるけれど、このアプリを消すというのはなかなかの作業で、消したとしても2、3日経つと、やっぱり戻そうという気持ちになってアプリを入れ直して、いかんいかんとまた消す、みたいなことを何回か繰り返したりもした。自分はそうでもないと思っていたのだけど、スマホに依存していたみたいだ。

そんなこんなで、アプリを消し、スマホへの興味が薄れてきたところで、今までやりたいなあ、と思っていたことをちょっとずつできるようになってきた。読書だ。
これは本当に嬉しい。そして文字が読めるようになってきた。SNSを開きすぎて文字を流す癖のようなものが体に染み付いているなあ・・・と感じていた。
インタビュー記事のようなちょっと長めの文章を読んでもどこか集中しきれずにさっと流し読みしてしまう自分がいた。読書をし始められたときも、そんな感じで内容が入ってこない。でも、本という媒体はネット上の記事よりも、何倍もの物理的な文章量があるので、腰を据えてぐっと目を開いて読まないといけない。そういう感覚も着々と戻ってきている。

すべてがSNSのせいだとはいえないのだけど、自分がやりたいこと、目指していることにスマホという存在が害悪すぎる(笑)。ていうかあまりに魅力的すぎる。
SNSを断つことが、テレビで流れる青汁のCMのような万能効果はないにしろ、SNSが魅力的すぎて他のことに割く時間がなくなっているのは事実なので、それがなくなった分の時間が物理的に開けてくるのは当然のことだ。
だから結局どうありたいのか、どう生きたいのかに直結する、スマホの問題は。
脳にしてやられちゃって、本能のままに、ドーパミンに従うのか。
脳を操って、ドーパミンを出す対象を変えさせるのか。
ドーパミンとか、脳とかそんな話ばっかりですみません。スマホ脳という本に影響されすぎてますな。まだ読み切ってもないのに。(笑)

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