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パワプロくん的人生観 2

noteには「ダッシュボード」という機能がある。その機能に少し驚いた。というのもその機能は今まで何人の人が見てくれて何人の人が「スキ」を押してくれたのかがわかるという画期的なシステムだった。あ、そういうの普通ですか。

そしてさらに驚いたのが僕が先日書いた「パワプロくん的人生観」というものを84人もの人が見てくれているという事実。おまけに見てくれた人が一番多い記事に「スキ」がひとつもついていないことに苦笑した。

なんでこの記事が一番読まれたのだろう。そしてなぜスキがひとつもつかなかったのか。
84人(84人じゃないのかもしれないけどとりあえず)はきっと「パワプロくん的人生観」というわけの分からないフレーズになにかを期待したのだろう。僕も他人がそんなことを言っていたら少し耳を傾けるかもしれない。パワプロくん的な人生観?こいつは一体なにを話そうとしているんだ?

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野球をするために生まれ、甲子園で優勝することを目標に生きることをかせられた彼。高校三年の夏、一度でも負ければそこで人生の幕が閉じる。
それだけならまだよかった。彼の人生がごく短いものであったとしても「たった一度の人生」というのはそれだけでやりがいがあるもんだ。
しかし、彼は輪廻転生のごとく全く同じ顔で生まれ、また新たな人生を送ることを天より命じられている。そしてどんなに転生しようが野球以外のことをすることはできない。彼はある意味「死なない」ことの代償に野球をし続けなければならないという業を背負っているのである。

パワプロくんは一体なにを考えているのだろう?パワプロくんはほんとは何がしたいんだろう?

あんなに大きなつぶらな瞳を野球以外のことに向けたい、とは思わないのだろうか。

パワプロくんはもしかすると僕たちの生き方を少し楽にしてくれるのかもしれない。パワプロくんの決して終わらない人生に比べれば、僕たちの人生なんてたった一度しかないんだ。一度やってしまえば終わることができるんだ。そう思わないだろうか?

パワプロくんをやっているといつも彼が不憫で仕方がなくなるのだ。僕は小学3年生の頃に野球をはじめ、高校三年生まで野球を続けたいわば「野球少年」だ。あのときもっと頑張っていれば、あの場面でいつも通りの力が出せていれば、と何度考えたことか。
しかしパワプロくんのことを思いだすたびに「ああ、ぜいたくを言っているな俺は」と思い直すことができる。なぜなら彼の場合、その人生で失敗したとしても、「どうせ次がある」と考えてしまうんだろうな、と思うからだ。僕たちは過去に戻ることができないから、後悔する。ああすればよかった、こうすればよかった。でも昔のことはどうにもならないから、次は気を付けよう、と「成長」することができるんじゃないだろうか。
パワプロくんはきっと本当の意味での「成長」をすることはできないだろう。失敗をしたとしても、「どうせあと1クールだ」「次の人生で失敗しないようにすればいい」「僕は死なない」と考えていると思う。そうして彼は次の人生、またその次の人生で強くなっていく。何度も同じことを繰り返すことで彼の能力は上がる、要領もよくなっていく。次第に甲子園で優勝することが当たり前になっていく。
これは「成長」なんだろうか?僕は「成長」だとは思えないのだ。

パワプロくんの人生観というのは、「「死」のない人生」のなかで人がどのようなことを考えるのかを浮き彫りにさせる。僕たちには関係のない話なのかもしれない。僕らはいずれ死ぬのだから。
でも一体何人の人が「死」はあるものとして生きているのだろうか。本当は僕たちだってパワプロくんのように「「死」なんてない」と思ってないだろうか。そんな僕たちにパワプロくんの人生が全く関係のないことだなんて言えるのだろうか。パワプロくんには本当に「死」はないけれど、僕たちには必ず「死」はあるのだ。そのことを考えないといけないんじゃないだろうか。

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パワプロくん的人生観というのは思った以上に泥沼で啓示的だった。

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