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草はらにねる大人。 くまもん

6日目、と書くとたまたまこの投稿をみてくださった人の読む気がなくなってしまうような気がするのだが、事実6日目なので、6日目と書かせていただきます。すみません。もしよければ1日目からどうぞ。あ、1日目2日目はドタバタした投稿になってるので3日目からもしよければ。

旅をしているからといって、旅のことを書こうとするとあまりおもしろくない。個人的に今日は波乱万丈な1日だったのだけど、他人の夢の話と同じで、話す本人と聞く他人でその体験に対するギャップが大きすぎるから、あまりおもしろくなくなるんじゃないかな、と思う。

だから逆になんでもないようなことを書きたい。旅という非日常の中で日常のようなことが起き、さらにそれがおもしろいことであれば、読んだ人はおもしろいと思ってくれるかもしれない。

今日はずっと国道45号線を歩いていた。南三陸という宮城県の海岸沿い。北に進めば気仙沼。東は海。
もちろん津波の被害は甚大だったようで、いまでもトラックがぶんぶんと走り回っている。

あまりのトラックの多さに耳がどうにかなりそうだったとき、ふと脇道を見るとおじちゃんが草はらの中を歩いていた。ずっと前しか見ていなかったので気づかなかったのだが、左を見ると草はらが広がっている。しかし人が通れるように整備された道ではなく、少し無理やり入っていかねばならぬ道だった。後からそのおじちゃんと喋ることになるのだが、そのおじちゃんはクルミを拾っていた。家に持って帰り、クルミご飯やくるみ餅をつくるらしい。

クルミ拾いのおじちゃんとは関係なく、僕もその草原に入ってみたいと思った。特に目を引くものもなければ、入る理由もなかったのだけど。

入ってみると懐かしい草の匂いがした。きっと誰もが個人的な記憶をふと思い出してしまうような草の匂いだった。ぼくも当然昔の原っぱの記憶を思い出していた。

足の痛みをこらえながら奥に進んでいくと、だんだんと、ここで寝られるかもしれない、という気持ちが湧いてきた。虫はたくさんいるだろうし、あんまり得意でもないのだけど、ここでならいけるんじゃないかと。勇気を出して寝てみた。

ここからどう言えばいいのか難しい。簡単に言えば、ものすごくよかったんだ、ということになる。でもなにがよかったんだ?ということを言わないと話にならない。太陽の日差しを顔面に受けること、草が顔や手足に当たる気持ち良さ、地面のふかふかした感じ、とかそういうことばで表さざるを得ない。でもどれも正解でどれも不正解であるような気もする。もっと全体的な心地よさ、気持ち良さなのだ。

そして、さらに言えば寝ると気持ちよかったとか、たまには自然を感じるのもいいですねと言いたいわけじゃない。なんていうんだろ、僕が言いたいのは「寝てよかった!」だけなんです。

純粋に寝てみたくて寝た。誰に勧められるわけでもなく、自然は大切だみたいな、主義主張を通すためでもなく、こどものような自分になれたことが今、うれしくて書いたんだと思う。

ひとり旅は自分が次どう行動するのか全部自分で決められる。何のしがらみもなく、何の規制もない。帰りたければ帰ればいいし、進みたければ歩けばいい。たぶんそういうことを繰り返したからこそ、草の上で寝られたんだろうなと思う。こどものような自分の意思を尊重できたのだと思う。
もし、スーパーから自宅への帰り道に、あそこで寝たい、と思ったとしても寝ないだろう。だからたぶんひとり旅は、こどもに戻れるチャンスなのかもしれない。回りくどくなっちゃったけどそういうことが書きたかったのだと思う。

半分大人で半分こどもの僕がまるで大人のようになにかを言うのは間違っているかもしれませんが。


くまもんがいました。

そしてくまもんのうしろには、いろんなキャラクターがいました。かわいかったけど、許可とかいらないのかな?

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