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【37冊目】恋愛論 下巻スタンダール著杉本圭子訳

【諸々】

・1800年代に書かれた、男主観の恋愛の心情や行動を綴った書。「論」ではない。

【気になったところ抜粋&感想("→"以降)】

・下記、散文的になっておりメモ程度までに記す

・心情や行動を綴った書を読むということ、それは芸出鑑賞に似ている(というか芸術鑑賞に分類されるのか?)

・一般的に、男女間での思考方法の主な相違は、男が解決型であり、女が共感型であると言われる。男女でうまくかみ合わないときは、それが原因のことが多いのだと考えていた。

・しかし、本書を読んで、それに加えて、男女間での役割の違いも影響しているのだと気づいた。

第一の役割の違いは、社会における関係性の置き方の違いである。一般的に、人間関係は①(結婚している場合)家族、②親子、③兄弟、④親戚、⑤会社(もしくは学校)、⑥友達などと分類されるだろう(順不同)。しかし、①を築くまでには、「異性」という存在がその中に入ってきたり出ていったりをする。また、その順列は関係性によって様々だろう。そのため、男女間での役割はその二人の中でそれぞれ異なる場合があり、また変化するものである。それにより様々な考えの相違が起こる。

第二の役割の違いは、単純に、2人だけの関係性を考えたときに相手に求める役割の違いである。甘えるー甘えられる、引っ張るー引っ張られる、癒すー癒されるなど、異性間の関係性に求められる要素は補完が主である。そして、その相反する役割は対局であり、かつ心情的なものであるが故に、それを相手の求める形を理解し適切に与えることは、すぐには難しい。ただ、その間に麻酔作用を与えるのが恋愛初期に起こる恋愛感情なのである。また、大変難しいのは、求める補完の形は人により様々ということである。補完は、一般的に相性と言われるものの主な存在である。先に述べた人間関係の中では、相手に求めるものはある程度固定されているもしくは、変化したとしてもその内容は

・何かを勉強する、という行為は公知の、一般的に用いられる知識について学ぶということであり、日常生活や仕事のように、何かを行う、という行為に対し、芸術に比べて直接的かつすぐに効果を感じられるし、その効果のほどもある程度は保証されている。

・一方、芸術を鑑賞する行為により、人は何かを感じる。感じるということは、作品を鑑賞することにより自らの感情や考えを見つめることである。その行為は、自らの感情や考えを見直す、再認識、深堀り、などを行う行為である。つまり、芸術には、ある程度までいったり行き詰ったりしたその先、を考えさせてくれる力があるのではないか。

・ただし、それは一般的な方法論として定義される性格のものではなく、あくまでも自己の対話を促すものとしての役割を果たすことから、社会においての立ち位置や扱いが現状のものとなっている。しかし、貨幣資本主義と産業革命による恩恵をほぼ全ての人類が受容できるようになったためその発展が行き詰まりを迎え、すると今までは光ばかりにその目が向いていたが、影を感じるようになるのは世の常だろう。そこで芸術(特に、アート)が注目を浴びている。アート、とは一般的に言われる芸術であるが、なぜそれが芸術の中でも注目を浴びているのか、というと、先に述べたような要素を持っていることに加え、接するのが受動的でよく、また貨幣価値を生み出す要素が強く貨幣価値化しやすいためである。

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