楽しませたい≠傷つかせたくない

今日は人生の反省を書いていきます。

結構哲学的なことを書いています。なんかコイツ頭イカれたのかと思った方、安心しでください。ソクラテスの踏み絵をしながら書いています。沖縄に1人で旅行(後日、沖縄旅行記配信予定)に行くくらい楽しい生活をしているので、テメェ邪魔すんなよ。人に見せんなよ。おすすめすんなよ。許さねえからな。

僕は人を傷つけるのを極端に嫌います。理由としては傷つくのが苦手であることと、人が苦しんでるのがたまらないからです。見てると感情移入してしまう。いち早く楽しませてあげたい。明るく元気になってほしいと心から願います。

最近気づいたのですが、楽しませることは傷つけることと表裏一体なんです。楽しむことにおいて、傷つけたくないが強すぎちゃうと、中途半端になっちゃうんですよね。自分なら傷つけていいとか考えるんだけど、自分を傷つけてることを相手が見てどう思うかな。そこまで考えなきゃいけないんですよね。そうすると考えすぎて、中身がスカスカになっちゃうんですよ。誰も傷つけないが第一になって楽しいが優先されないから。

それをわかりきってるつもりでした。理屈がわかってる分、自分は傷つけずに楽しませることが出来る、そう過信してました。

未熟なもので、何もうまくいかないんですよね。結局傷つけてしまった。自分は楽しくなってほしい一心で動いていたので、それをわかってほしいってわがままだから思う。けど、傷ついてる時点でそんなわがまま通用しない。だって相手は傷ついてんだから。

傷つけてしまうことがあったとしても楽しませたいと思う。だけど、楽しませて傷つかせるくらいなら何もしないほうがいいとも思う。

共存しないんですかね。傷つかせずに楽しませる。

僕の永遠のテーマになりそうです。

永遠のテーマになる、そう大それたことを言えてることが自分の強みだったりします。余談ですが。

楽になりたい、楽しませたい。これの違いがわかればいいな。

結局何が言いたいのかと言うと、楽しませる≠傷つかせたくないの証明を破綻させたいのです。楽しませる=傷つかせたくない、これを証明させます。

見とけ。

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