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誰にも言えない「悔しさ」が人生を変える

外からの刺激による感情なんてすぐに消える。自己啓発セミナーに出て気分が高揚したりして威勢の良いことを言っても何も変わらないのと同じだ。

ハイタッチをしたり、長時間拘束したり、お涙頂戴的なセミナーはなおさらだ。
反応するように仕掛けられるわけで、こんなのは簡単にできるわけだ。

いま思うとオレ自身が変わったのは、よくわからないけど涙が止まらなかったときとか、人知れずに悔しい想いをしたときだ。

拙著『超一流の二流をめざせ!』にも書いたように大学卒業後に歌舞伎町で働きはじめて1カ月が経ったある日、高田馬場駅からアパートに帰る途中で涙が止まらなかった。

とくに何があったわけではなかったが、まあまあきついバイトだったというのもあり「なんでこんなことしてんだろう」って想いもあったが、いま思えば下っ端でろくに仕事ができなくて「何でこいつらに偉そうにされないといけないのか」という屈辱感だったのかもしれない。

毎日、バイト先に着いたら買い出しに出かけ重い荷物を持ちながら遊んでる通行人ばかりの繁華街を歩く、勤務中は客のタバコを買いに行ったり。もちろん、銘柄も間違えてはいけない。

そんな毎日に嫌気がさしたのか、悔しさがあふれ出たのかわからないが、ある日、涙が止まらなかった。

ただ、オレはそこから変わった。

見返してやる、辞めないでくれと言われる存在になろうと思った。
もちろん、誰に言うわけでもなく。

何かを決断したわけでもなく、宣言したわけでも、目標を設定したわけでもなかったけど、明らかにそこから自分が変わった。

きっとそれまでは親に学費を払ってもらったりしていたわけで、自立なんてしてなかった。
だから、それは自分の人生でもなかった。

オレの場合は歌舞伎町だったが、大学を卒業し、誰の援助も受けずに、自分の足で歩きはじめた頃にそういう想いができて良かったと思っている。

生温い人生から、自分の人生に変わった瞬間だったなと。
結局、誰にも言えないくらいの悔しさや屈辱感が人生を変えるんじゃないかな。
なんか言えるってのは表面的なわけだ。

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