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【特別対談】なぜ今、OSHOなのか?30年の弟子に聞く!(江谷信壽×長倉顕太)

■概要
本ページは、OSHO30年の弟子である江谷信壽さんとの対談記事です。

OSHOとは・・・
「20世紀をつくった1000人のうちの一人」「ガンジー、ネルー、仏陀と共にインドの運命を変えた10人のうちの一人」に選ばれたインドの思想家。彼の講話録は、世界で43カ国以上、650冊以上の書籍として発刊。著作はレディガガ、シャーリーマックレーンなど各界の著名人からも愛読されています。

【無料】本対談の音声版は下記より。

https://note.com/first_osho/n/n02e9e210ff59

スピリチュアルは否定的。でも、目に見えない世界は、、、

【長倉 顕太(ながくら けんた)】(以下、長倉):おつかれさまです!長倉です!今日の話は、僕が今までやってこなかったジャンルで、もしかしたら世の中的にはスピリチュアルな扱いを受けるかもしれません。

僕のことを知ってる人だったらわかる通り、僕自身はスピリチュアルに対してそこまで肯定的に生きてるわけではないです。

ただ、昔ギャンブルをやってたり、運を意識して生きてきたんですけど、そんな中で、「目に見えない世界がある」っていうのは自分の中でなんとなくわかっているつもり。
しかし、「それが何か」は「運」という言い方でしか、語ったことがありません。そういった意味では詳しくない自分がいます。

かつて、OSHOという名前の人がいました。知っている人もいるかもしれないです。インドの方で、1970年台〜1980年台にかけて世界的に有名だった方で、僕はその人の本を読んだ時に、すごく腑に落ちたんですね。
世の中的には、スピリチュアルという言い方をされるかもしれないんですけど、スピリチュアルとはまた違うものを感じました。それでOSHOの本を何冊か読んでいました。

今日は、そのOSHOの弟子である江谷さんにインタビューをしたいということで時間をとっていただきました。
江谷さん、お願いします。

【江谷 信壽(えたに のぶとし)】(以下、江谷):ありがとうございます。よろしくお願いします。

OSHOとは何者か?

【長倉】:僕は、そこまで知らないのにOSHOの言葉には惹かれるんですよね。なんか惹かれるし、本読んだり音声を聞いても、納得するものが多いです。
OSHOのことを知らない人が多いと思うので、「OSHOとは何者なのか」「どういうことやってきた人なのか」、簡単に話していただければと思います。

【江谷】:OSHOは何者かって伝えるのは難しいところでもあるんですね。けどOSHOはいろんな側面を持ってて、しかもいろんな次元を生きていて、いろんな人からの毀誉褒貶(きよほうへん=世間の評判)を含めて、いろんな評価をされてる人なんです。

なので、彼のことを語れば、語った人の想いが出てしまうところがあって、どういうふうに語ればいいのかは悩ましいところです。
ただ、OSHO自身ならどう言うかということを考えた時に、彼は多分、「自分は誰でもない人だよ。I’m nobody. I’m ordinary man. 」と言うと思います。
彼はよく「自分は普通の人だ」と言っていました。

彼はその時々、瞬間瞬間を生きている人なので、その時々に必要なこと、必要な役割を演じている、という感じなんです。
いろんな側面がある中で、私が彼のことをどう言うかより、一般的にどんなふうに彼が評価されていたか、をちょっと紹介してみたいと思います。

OSHOは、反逆者なのか?救世主なのか?

1つはアメリカの作家で トム・ロビンス は、OSHOは「イエス・キリスト以来の最も危険な人物」って言い方をしてるんです。

OSHOは本当に危険な人物で、彼のことを知っていた人でも、やっぱり彼のことは語れない。彼のことに共鳴していたり、彼のことを素晴らしいと思っても、彼のことについて語ると自分も批判をされてしまう、彼はそれだけ反逆的なことをしてきた人です。でも、トム・ロビンス は、それでも自分は彼のことをすごく評価していると、堂々と述べた人です。

OSHOのことを十分研究してきたうえで、「イエス・キリスト以来の最も危険な人物」と言っており、それは当たっている部分かなと僕は思います。

あとは、「20世紀をつくった1000人のうちの1人」と言われることもあります。それはロンドンのサンデー・タイムズ が言っていたりします。

あるいは 「ガンディー、ネルー、ブッダとともにインドの運命を変えた10人の1人」という言い方もあります。
これはインドのサンデー・ミッドデイ誌という新聞で言われていたりします。

あとは、ダライラマが精神的な部分での彼の評価ということで、「OSHOは人間が生きる意識進化において、困難な段階を克服するのを助けるために、あらゆる可能性に働きかけている、光明を得たマスターだ」という言い方をしてるんですね。

同時にまた、チベットの高層のラマ・カルマパというチベット仏教のトップの指導者の方が、「OSHOはインドでは仏陀以降、最も偉大な転生者です。彼は生きている仏陀なのです。」という言い方をしています。

チベット仏教では転生を認めているので、OSHOのことを精神的な部分でそういうふうに評価しています。

何者でもなく、何者にもなれる唯一の人

OSHOが自分のことをどう言っているのか紹介すると、
「私は、それほど宗教的な人間ではないし、聖人ではないし、精神性(スピリチュアリティ)とは何の関わりもない。それらの範疇のすべては、私については関係がない。私を分類することはできないし、私を整理棚に収めることはできない。だが、ひとつだけ言えることがある。『愛─知性』と呼ばれるエネルギーをあなたが解き放つ手助けするのが、私の努力のすべてだ。もし、『愛─知性』が解き放たれたら、あなたは癒される。」
という言い方をしています。

そういう風に語っている中で、私がOSHOのことをどう思っているのかということを話します。私も、本当に仏陀のような人に会いたいと思ったことがあって色々探していた時期があったんです。
そうしているなかでOSHOに出会った時、「仏陀の意識を持った人だな」と感じました。なので、私としては彼のことを「仏陀の再来」みたいな方だと思っています。

実際に彼は、「仏陀から25世紀後に、人類の意識を引き上げるために、ダンマ(法)の法輪を回した」という言い方をされてます。
仏陀は「ダンマを贈り物として人々に与えたら、それは最大の贈り物になる」と言っているんですね。

OOSHOはその仏陀の言葉について、「最大の贈り物とは、 人々にあなたの光明(エンライトンメント)を与えること、それを分かち合うことだ」と言っています。彼は21歳の時に悟りを得ているのですが、その意識を色んな形で私達に伝えてくれました。それがOSHOが生涯に渡ってやってきた、一つの主なワークじゃないかなと思っています。

彼はいろんな宗教の経典について語っています。普通は、それらについて「注釈」という形で解説がなされていることが多いです。

しかしOSHOが仏陀の言葉(経典)について語る時は、仏陀と同じ意識を持って語っています。
キリストの言葉について語る時は、キリストと同じ意識を持って語っています。

彼自身が21歳の時に光明を得たという体験があるので、その体験から仏陀と同じ意識を持って語ることができる。そのようにして彼は、仏陀なりキリストなり、古今東西のあらゆる悟りを得た人について、語ってきたわけです。それを語る中で彼は悟りの境地で得た「光明の意識」というものを再び人類にもたらしてくれているという風に私は感じています。

人々を苦しみから開放するOSHOの教え

【長倉】:そんな中、OSHOの教えを考えた時に、やはり多くの人は何が学べるのか、どうなれるのか考えがちですけど、そういうことではないなという風に思っています。

一言で言うと「目に見えない世界を解説してくれた人」っていう部分がすごく大きいのかなと。
実存的と言ったら変ですけど、やっぱり「多くの人の苦しみを解放する」人ですよね。

今回、江谷さんに監修してもらって音声教材を作っていく中で、もちろん僕も聞かせてもらって本当「すげーな」と思いました。
語彙力なくて申し訳ないですけど、本当に「このアプローチが凄いな」とか「考え方が凄いな」というのをいくつも聞かせたもらって、
「目に見えない世界・目に見えない力」みたいなものの解説を本当にちゃんとしてくれていて、それが凄く納得できます。

再三言いますけど、僕は単なるインチキスピリチュアルみたいなものに批判的なんです。OSHOはそうではないことを非常に感じました。

江谷さんの話では、OSHOは21歳の時に光明を得たと。
悟りを開くって言うのは「光明を得る」と言う言葉でいいですよね?

【江谷】:そうですね。

【長倉】:その後は27歳で大学の哲学の教授。そう言った意味では普通の学問なども元々はやっていたのでしょうか?

【江谷】:そうですね。
彼自身は普通の学問も全て探求したなかで、悟りを得ています。

学問は自分が「その学問の知識」を得るために学びますよね。

彼も悟りを得るまでは、自分の探求のために学問を色々研究していました。しかし、彼は悟りを得たあとも、蔵書だけでも図書館になっているくらい何万冊も本を読んでいるわけです。

それは自分のためにではなくて、「どうすれば、人々に伝えることができるか?」そのために読んだと言っています。自分が得た境地をどう伝えるのかをすごく研究した人でもあるんです。

かつ、彼自身が学生時代にディベートのチャンピオンだった。

子供の頃から語る才能が並はずれたところがあったみたいです。「悟りの境地」は言葉を超えているものなので、それを表現するってことは並大抵のことではありません。難しさ故に何も語らずに去っていった人たちは多いとは思うんです。

でも、このような形で伝えることができたのはやっぱり、彼自身の「言語能力と研究」があってこそ。そこまでしてそれを分かち合うことができた。

そして、彼はいわゆる秘教についても、チベットや古代からの教えで口伝でしか伝えられてこなかった隠されていた教えがあります、

それを世に出る形で話してくれた人でもあります。今まで伝えられなかった、伝えてこれなかったことについて、伝えてくれています。
目に見えない世界のことをあれだけの言葉で言語化して伝えてくれる人は、今までいませんでした。

時代遅れの教えから自分を解放しよう!

【長倉】:いろんな側面がありますけど、特徴的なのが、スピリチュアルと違いOSHOはセックスや、物欲に対しても全然肯定ですよね。
禁欲的な教えって以外と多いじゃないですか?
それって今の時代にあまりにも合わないと思っていて、それでも結構、禁欲的なものは多いと思うんですが、OSHOはそれを肯定していたのが凄いなと。

【江谷】:はい、勇気がいるどころか、それを言ったためにすごく迫害されたりしたんですけれども。
今までの宗教はセックスを否定して、切り離して、精神的な世界にいく、というところがありました。

でも、OSHOはそうではないんです。

セックスは根源的な生命エネルギーだから、それを切り離してしまったら、生きることから生命力を切り離してしまうので、そこからは逆にどこにもいけない。
逆にセックスという生命エネルギーを、本当に開花させていけば、それが、愛にもなるし祈りにもなる。瞑想的に受け入れて、受容的に使っていくことによって、愛にもなり、祈りにもなる、そういうエネルギーを切り離してしまえば、それは本来の宗教ではなくなる。

ということを非常に厳しく言っていました。
それを逆に誤解されてしまって、聖職者といわれる人や宗教者から弾劾を受けたこともあります。

彼の人間に対するメッセージは「全体的な人であれ」という言い方をすごくしていました。
だから、セックスを切り離してスピリチュアルにいくだとか、物質的な世界を切り離して精神世界にいくことに対しては否定的でした。

キリストでは、「金持ちが天国にいくにはラクダが針の穴を通るより難しい」という言い方がされています。
しかしOSHOの考えでは、セックスは人間に本来与えられているものだから、それを切り離してしまうことは、人間の中に分裂を作り出してしまうことになるし、本来持っているエネルギーを損なってしまうことになってしまいます。

そうではなくて、「全体を生きなさい」と彼は言います。
その生き方を「ゾルバ・ザ・ブッダ」という言い方をしています。

「その男ゾルバ」という映画や、小説があると思いますけれども、「現実を享楽的に生きた男としてのギリシャ人のゾルバ」と「高い精神性を生きた人としてのブッダ」を両方生きるという意味で、「ゾルバ・ザ・ブッダ」という言い方をしています。両方生きてこそ、本来の人間としての人生をまっとうすることになります。

「虹色の人生を生きなさい。全ての可能性を生きていくということが、本来この世に生まれてきた人間としての生き方だ」という風に言っています。

【長倉】:彼の教えを江谷さんから聞いたり、今回の音声教材を聞くと、
ポジティブになれるというかエネルギッシュになれるというか、生きることに対して、力が湧いてくる感じがするんですよね。
それってやっぱり、本質をついているから反応するみたいなところはあるんですか?

【江谷】:そうですね。まさに「人生に対して全面的にトータルに生きなさい」というのが彼の教えの一つです。

以前、彼の弟子たちはオレンジの服を着てたんです。
オレンジというのは太陽の・命の色、与えられている命を全力で生きていく、今この瞬間にトータルに生きなさいと。
本当にそれは、彼のメッセージの一番大きな柱ですね。

最後に。過去でも未来でもなく、今を生きる

【長倉】:でも、それって今は必要だと思っていて、多くの人は過去のトラウマに引っ張られたりとか、未来の不安に苛まれている。
「今この瞬間を生きていれば、それだけで苦しみから解放されるんじゃないの?」みたいに思うんですけれど、やり方って頭ではわかっていても、多くの人はできていないじゃないですか。

それがOSHOの教えを得ることによって、学ぶことによってやりやすくなっていくと思います。

【江谷】:そうですね。「今ここにトータルに生きなさい」というのがOSHOのメッセージのメインなんです。

「瞑想的に生きなさい」こそが彼の一番伝えてるメッセージでもあります。
瞑想が何かというと、「今ここにトータルにある」ということです。
マインドが何かというと、「過去と未来をいつも考えている」ことです。

結局、苦しみは、自分のマインドで作りあげているものなんですよね。

今、長倉さんが言われたように、今ここでトータルに生きていれば過去も未来もないわけです。今、この瞬間、そこにはマインドが作る悩みや苦しみとか、そういうものはそこにはない。

それが瞑想意識の中では、その瞬間・瞬間に生きていくということになるのです。そういう意味では自分のマインドで作り上げている苦しみっていうものからは解放されるという言い方もできるかもしれません。

【長倉】:自分で言うのもなんですけれども、僕はいろんなタイミングで時代にあったものを提供してきて、編集者としてそれなりに実績が出たのかなという風に思っています。

本の中でも書いているんですけれども、これだけ時代が混沌としていく中で、特に日本は悪い方に向かっていると思っているんですね。
そんな今だからこそ、OSHOの教えが必要だと思っています。今後OSHOの情報を江谷さんとともに皆さんにお伝えしていきたいなという風に思ってます。

江谷さんは、もう40年くらいOSHOの研究されています。そして、弟子でもありました。OSHOの教えを1人でも多くの人に伝えたいという風に思っておられると思いますので、それを一緒にできたらなと思います。

【江谷】:それは本当にありがたいですね。この機会を与えてくださってどうもありがとうございます。

【長倉】:ということで、今後の僕らからの情報を待っていてもらいたいなと思います。

今日は江谷さんにまず、「OSHOとは誰なのか?」「何者なのか?」について伺いました。
語りきれないタイプの人ではあるんですが、そんな中で江谷さんに無理して、ある程度まとめていただいたということで、今日は終わりにしたいと思います。

今日はありがとうございました。

【江谷】:ありがとうございました。

【無料】本対談の音声版は下記より。

https://note.com/first_osho/n/n02e9e210ff59


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