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プロ野球 歴代選手 逆年俸ランキング~打者編~

契約更改も終盤に入り、ヤクルトの村上宗隆選手が高卒4年目というセ・リーグでは藤浪晋太郎と並んで史上最速で年俸1億円の大台に到達したり、国内フリーエージェント権を取得した同じくヤクルトの山田哲人選手が7年総額40億円規模の大型契約が成立したりと話題につきません。

1986年に落合博満が史上初の1億円プレーヤーになってから、30年以上が経過し、落合の功績によって年俸1億は、超えられない壁ではなく、今や100人もの選手が大台の1億円を超えています。
しかしながら、落合が1億円を超えるまでに大活躍していた名選手、たとえば、世界の王こと王貞治の最高年俸は8160万円と、時代がもちろん違うが、衝撃の事実であるのは間違いありません。

そこで、往年の名選手の年俸を調べ、逆ランキングにしてみました。

まずは、名選手ですが、今回は野手編で、三冠部門である打率、本塁打、打点で通算成績でトップ10の選手をピックアップしました。

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上記のランキングのうち、外国人選手と年俸が不明だった選手を除いた12名の選手のランキングはこちらです。

第12位 金本知憲 5億5000万円(2007年)

1992年から2012年にかけての実働21年間、広島、阪神に在籍。MVP1回、打点王1回の2回のタイトルを獲得。1492連続試合フルイニング出場、13686連続イニング出場は世界記録。


第11位 清原和博 4億5000万円(2002年)

1986年から2008年にかけての実働23年間、西武、巨人、オリックスに在籍。歴代5位の本塁打と歴代6位の打点を記録しましたが、タイトルには縁がなく、新人王のみです。一方、通算196被死球・通算1955三振はいずれもプロ野球トップの記録です。ただ、チャンスにはめっぽう強く、最多サヨナラ安打、最多サヨナラ本塁打やオールスターでの数々の記録を残しました。

第10位 小笠原道大 4億3000万円(2005年)

1997年から2015年にかけて実働19年間、日本ハム、巨人、中日に在籍。セパ両リーグでのMVP、首位打者2回、 本塁打王1回、打点王1回のタイトルを獲得しています。歴代9位の打率を残したアベレージヒッターでありながら、3割30本を王貞治に次ぐ9回記録しており、長打力を備えた選手でありました。

第9位 落合博満 3億8000万円(1994年)

1979年から1998年にかけて実働20年間、ロッテ、中日、巨人に在籍。MVP2回、打点王5回、本塁打王5回、首位打者5回のタイトルを獲得。プロ野球史上唯一の3度の三冠王。また、通算本塁打6位、通算打点5位、通算打率8位といずれもランクインする史上最高の打者と言ってもいいでしょう。また、成績だけでなく、プロ野球選手初の選手会理事長や初の1億円プレイヤーなど数々の功績を残しました。

第8位 門田博光 1億3000万円(1991年)

1970年から1992年にかけて実働23年間、南海、オリックス、福岡ダイエーに在籍。MVP1回、打点王2回、本塁打王3回のタイトルを獲得。40歳にして打率.311、44本塁打、125打点で本塁打王、打点王、MVPに輝きます。40代での40本塁打、同100打点は史上初であり、MVP選手も史上初と晩年まで活躍が途切れることのない選手生活を送りました。

第7位 山本浩二 8500万円(1986年)

1969年から1986年にかけて実働18年間、広島に在籍。MVP2回、首位打者1回、本塁打王4回、打点王3回と10回の主要タイトルを獲得し、ミスター赤ヘルとして活躍しました。大卒での500本塁打はプロ野球史上唯一の記録です。1986年という時代ですが、ここからが1億円に届かなかった名選手になります。


第6位 王貞治  8160万円(1980年)

1959年から1980年にかけて実働22年間、巨人に在籍。MVP9回、本塁打王15回、打点王13回、首位打者5回と40回を超える主要タイトルの獲得のほか、数々の日本記録保持しています。868本の本塁打は世界記録で、日本にとどまらず、世界的にもネームバリューのある選手です。最高年俸は8160万円で、それでも入団から引退まで1度もダウンはありませんでした。


5位 衣笠祥雄 6820万円(1987年)

1965年から1987年にかけて実働23年間、広島に在籍。MVP1回、最多盗塁1回、打点王1回とタイトルには多く恵まれませんでしたが、18年にも及ぶ2215試合連続出場の日本記録を持っており、その記録は引退するまで途切れることはありませんでした。長く活躍した衣笠祥雄ですが、最高年俸は6820万円でした。

第4位 若松勉  5500万円(1980年)

1971年から1989年にかけて実働19年間、ヤクルトに在籍。MVP1回、首位打者2回のタイトルを獲得。アベレージヒッターで、通算打率.319と歴代3位、3割以上12回も歴代3位になります。1980年に最高年俸5500万円と5000万円台になっています。

第3位 張本勲  5150万円(1978年)

1959年から1981年にかけて実働23年間、日拓、東映、日本ハム、巨人、ロッテに在籍。首位打者7回のタイトルを獲得。安打製造機と言われ、通算3085安打はプロ野球記録で、16回の打率3割、9年連続3割以上も日本記録です。最高年俸は引退前の1978年に辛うじて5000万円を超えています。

第2位 長嶋茂雄 4920万円(1974年)

1958年から1974年にかけて実働17年間、巨人に在籍。MVP5回、新人王、 本塁打王2回、打点王5回、首位打者6回と多くのタイトルを獲得。その他、最多安打10回もプロ野球最多記録です。MVP5回が示すように、オールスターや日本シリーズなど大舞台での活躍が印象に残る選手の一人でしたが、最高年俸は5000万円に届きませんでした。

第1位 大杉勝男 3200万円(1982年)

1965年から1983年にかけて実働19年間、東映、日拓、日本ハム、ヤクルトに在籍。本塁打王2回、打点王2回のタイトルを獲得。歴代通算本塁打、打点のトップテンにもランクインしていますが、大杉勝男の最高年俸は1982年の3200万円というのは驚きです。

まとめ

以上、すでに引退した選手の最高年俸を見てきましたが、彼らが今、同じように活躍していたら、果たして年俸はいくらだったのか、考えるだけでもワクワクしてきます。


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