自分を楽しませるために何でもやる

自分の喜ばせ方を何通り知っているか。

それが自分の人生の意味と自分自身が繋がっていくための大事な学びである。何をするときに自分が嬉しいのか、どんな場所でどんな人と一緒にいるときなのか。何をきいて、何を目撃したときに良かったなと思うのか。

喜びにも色んな種類がある。深い喜び、ジワジワくる喜び、エキサイティングな喜び、そのバランスはどうなっているのか。喜びから動くときと不安から動くときは自分の声がどう違うか。今日のご機嫌は自分で取れているか、果たして1週間、1年はどうか。

自分にとって、起業をして20年くらいの中で自分のことがよくわかったことが最大の学びであった。

僕の場合は具体と抽象、現場とシステム全体、ミクロとマクロを行ったり来たりすること。あと色々なフィールド同士での共通項をみつけることが深い喜びだ。

例えば同じ日に、コミュニティファクトリーの村の女性の採用の話と、日本での物販のデジタルマーケティングや商品開発の話と、カンボジアの労働省とのプロジェクトや業界全体のリサーチと、自分がやる研修と、システム導入の話をする日がある。

その時に「デジタルマーケティングのフレームワークを、カンボジアの教育業界全体を読み解くために活用したらどうなるか」なんてことを考える事が凄く楽しい。

また、政府とのプロジェクトで「カンボジアの職業訓練所の講師の方々にこんな価値観を大事にして欲しい」と伝えるときに、自分自身が、自分達の村の現場でその価値観を本当に信じられているかを葛藤しつづける存在でありたい。葛藤をしながら教育を進めているスタッフと心が繋がっている自分でいたい。

響きがよいだけで、葛藤がない哲学なんて意味がない。

そういう意味では自分はサッカーで言えば色んなポジションをやりながら、監督とかコーチもやるし、大会も作るし、もしかしたら別のスポーツも一緒にやっている、そんなあり方が好きなのかもしれない。

サッカーが好きだから全部やりたくなるように、教育が好きだから全部やりたくなる。

器用貧乏だな、と思うし、そのためにまだまだ大きな成果が出せていないことは悔しい。でもこれが僕の自分の喜ばせ方なんだな。

この自分の喜ばせ方のエッセンスを活かしながら成長を続けていきたいと思う。

行動できる哲学をもった教育事業家であり続けようと思う。

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