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狂言会『第四十三回 五笑会』を観稽古でござる

和ろうてござるか〜

2022年五月二十七日の金曜日
京都府立芸術文化会館三階和室で開催の
狂言会 第四十三回 五笑会に
参ってござる

わたくしこの会2010年の発会より
全公演を観続けさせてもろうてござる

このブログでは狂言好きのわたくしけんすけ福のかみが
もっとも狂言らしい登場人物“太郎冠者”となって
狂言へとご案内するべく描いてござる
なにとぞ和らいだお心もちにて読うでくださりませ〜

と申すも
この会を主催する
大蔵流茂山千五郎家の五人の狂言師のうちの
島田洋海師がわたくしの師匠でござって

この五笑会の直前にされていた三笑会での師との出逢いが
今のわたくしの狂言生活の始まりでござれば

この会を通して学ぶのは
もはや使命と云うても好いと存ずるところ

前置きが永うなってござる

さて始まりは
独吟小舞が二番
増田師の『子の日
井口師の『幼けしたるもの

小舞と申すモノは
舞手が仕手謡(してうたい)と云う謡いだしを謡うたあと
後ろに座っている地謡(じうたい)と云う方々が続きを謡う体裁が常ではござるが

少人数の会と申すこともあって
前回四十二回公演より舞手が全て謡う“独吟小舞”にされてござる

舞うだけでも体力がいるところへお腹から声出し謡いながらと申すは、
いっそう体力が要りそうなことでござる

初見となった『子の日』
こちらは冷泉為理が作った同名の狂言『子の日』の中に出るものでござる
和歌詠む家のお公家さん作らしい
雅な小舞…でござった

狂言一つ目は『縄綯(なわない)』
借金が返せぬ主人がそのカタとして太郎冠者を貸主の元へやるのでござるが
カタと云うては承伏せぬと思い手紙を持たせ遣いにやると云う騙し手に
腹立ち納まらぬ太郎冠者は貸し手の指示に従わず、ついに返される
貸し手が隠れて見ているところで元の主人と縄を綯いでいるうち
出てくるのは貸し手の家の悪口でござる
やがて後ろで縄を押さえていた主人が貸し手と代わり最後には貸し手に叱られ逃げる太郎冠者となるのでござる

この太郎冠者が縄を綯いながら
面白おかしく貸し手の家の様子を語る「仕方語り」がいちばんの見せ場
貸主の家に居た短い間ながらさまざまなことをしたようで
シテの鈴木師は普段から汗かきでござるが
なお一層の汗をかいての
おお和らいの舞台でござった

続いての狂言『二千石(じせんせき)』
大名狂言の不奉公(ぶほうこう)物でござる

こちら昨年わたくしが披露した狂言『文蔵』と同じような始まりで
無断欠勤の太郎冠者の家へ叱りに行く主人
京都見物していたと知り許されるまでは同じでござる

この後京都で流行りの謡を披露するも
これが逆鱗に触れ、あわや手打ちとなるところ
その刀を持つ手つきが先代(主人の父親)に似ていると泣く太郎冠者
その様子に同情した主人は太郎冠者を許した上
太刀や小刀まで取らせてござる

狂言に出る人はたいてい心根の好いのでござる
その心根が底にあるのが狂言の和らいと思うてござる

大和らいする狂言ではなけねども
謡(うたい)があり
語(かたり)があり
緊張から緩和へ
最後は愛でたい締めで
初見ながらわたくしはとても氣にいってござる

最後は狂言『(ふくろう)』
弟が出て云うには山へ行って帰ってから
兄の様子がどうもおかしい
そこで懇意にしている法印(えらい山伏)さまに頼んで
治してもらうと云う

この狂言のシテである法印は弟の訪問に際し
次のように謡いながら出てまいりまする

九識(くしき)の窓の前 十乗(じゅうじょう)の床のほとりに 瑜伽(ゆが)の
法水(ほっすい)を湛え 三密の月を澄ますところに 案内申さんとは誰
そらー

能『葵上』

これは能『葵上』のシテの山伏の謡の一節を真似ているそうでござる
この『梟』という狂言が『葵上』のパロディになっているという仕掛けなのだそうでござる

と申しても、不調なのは呪いを受けた姫ではのうて
山で梟の巣をいじった男

能では見事祈りによって調伏されまするが
狂言の山伏にはそんな霊験がござりましょうか〜

山伏が出る狂言は
祈りや呪文を大げさにするところもござって
なにやら動き回る狂言が多いようでござる

ただいまお稽古中の狂言『蟹山伏』しかり
『柿山伏』、『蝸牛』、『腰祈』、『菌』…
今回も最後までおおいに和ろうてすごせましてござる


こんにったこの辺りにいたしましょう
またお目に掛かれましたら嬉しゅうござる🤗

この狂言noteはけんすけ福のかみが
大蔵流茂山千五郎家 島田洋海社中にて
狂言を学んだことをモトに
実際に狂言を(できれば生で)観て
和らいでもらいたいと願うて描いてござる🖋

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