死について
安田さんと、日高さんと、チバ。
48年も生きてりゃそりゃ人の死にも関わる。
じいちゃんやばあちゃん。
まあ、親とかもさ。
身内はさ、ある程度、なんかさ。
分かるじゃん。
入院してさ。なんか宣告されてとかさ。
あー。。んでも、身内のなかでも、肉親の死ってのが、1番最初がじいちゃんだったけど。
なんか、涙が溢れて止まらんかったのは覚えてるな。。多分、これが1番に感じた身近な肉親の死だったからなのかな。
びっくりするくらい泣いた。不思議な感覚だった。
んで、ばあちゃんが亡くなったりとかね。。
俺、ばあちゃんっ子だったからね。
親が立派なネグレクトでさ。
婆ちゃんが途中から一人暮らしになって、
何かあるといけないからって、
高校の途中からばあちゃんと暮らしてたんよな。
ある日の晩飯の煮付けが美味くてさ。
『おいしいね』って言ったら、その日から3日同じ晩飯で、3日目に食えずに残したっけw
夜に窓から抜け出して遊びに行ってたのバレた日も許してくれたな。そういや。
まあ、そんな日々も、頭のおかしい俺の親父の弟が婆ちゃん家に帰って来て、息苦しい日々に変わったけどね。
話が飛ぶけどさ。。まだ今もかろうじて生きてるらしいその親父の弟。
何年か前も、たまに俺に電話してきて、
うちの親父の愚痴を、何時間も俺に言ってんだよな。。
完全に頭おかしかったな。
俺の親父が、たまに変な匂いがするから、シャブやってるんじゃないかとかね。言ってくるんよ。
当然俺は気分悪いし、お前どうかしてるよって、被害妄想も大概にしろよって、ハッキリ伝えて電話切ってさ。
そしたらさ、翌早朝に電話してくんだよ。
甥に言い負かされたのが悔しかったんだろね。
もちろん出るわけないじゃん。
したらさ、頭おかしいからさ、1分後に非通知にして電話かけてくんだよねw
着信拒否したね。
俺なりの絶縁宣言だったんよな。
親父は3年前になるのかな。
死んだね。肺ガンこじらせて。
そしたら、親父の弟、親父と仲悪かったのにさ。
繋がってる身内が近所にほぼ、俺の親父しかないからね。
それが原因か知らんけどパーキンソン病?
とかになってさ。
1人で暮らしてたんだけど、いきなり倒れて意識がなくなったりするらしくてさ。
親父の妹が岐阜にいるんだけど、もう絶縁してるのは伝えてたから、その岐阜の叔母が世話して施設に入ってるらしい。
詳しくは知らんけどね。
親父と親父の弟はどうやって生計立ててたのかって?
生活保護しかないよな。
被差別部落の丘の上に、自販機すらない地域で、低所得者のみを囲う市営住宅。
そこそこの広さはあって、5部屋はあったな。
庭もあって、家賃は2,000円前後。
それすら払えず30年以上滞納w
笑うしかないよね。
眠い。
続きはまた気が向いたら書く。
自分で書いてて、ざっくり端折って書いたにも関わらず、なかなかのクソ幼少期、育ちの悪さにうんざりしてる。
気分悪いな。
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