“ワイドショーのコメンテーター気取り病”の行く末

昨今のコロナ禍もそうですし、以前の東日本大震災の時もそうですけど、世の中が揺らぐ状況になると、同業者から騒動や関連する事件を斬りまくる人が出てきます。有名無名問わず。

同業者というのは、ライターや編集者。もっと広げると、学者や研究者、ブロガーやインフルエンサーあたりも含みます。タレントや文化人にもよくあることです。どう表現すれば伝わるかなあ。「ワイドショーのコメンテーター気取り病」とでも言えばいいでしょうか。

もちろん専門家の言うことが全て正しいとは言わないし、中には偏った意見を持つ人もいるのは事実です。何も言っちゃいけないということでもない。とはいえ、自分が専門的な知識がないということも忘れ、いや、それどころかWEBニュースをたくさん読んで自分に知識があると過信して、持論をそれが真実だと言わんばかりにぶちまける人がそれなりの数出てくるんですよ。興味深いことに、えてしてそういう人は客観性が日に日になくなっていくものなんですよね。しかも、自分はそれに気づいていないという。本来の仕事は、様々な意見をまとめて、整理して、わかりやすく伝えることなのに、いつの間にか“世間の代弁者気取り”になる。

そうなると、もはや「ワイドショーのコメンテーター気取りハイ」。最終的には症状が悪化し、様々なジャンルに首を突っ込み、「自分が正しい」という気持ちが強くなり、他人に無意識に攻撃的になり、自分の専門性すら疑われるようになっていくのがいつものパターンです。

いや、誰が何を言おうと自由なんですよ、もちろん。その人の周りには一定数賛同者もいるわけで。ただ、そういう適当な物言いが増えれば増えるほど世の中が面倒くさくなっている気がして。もっと言うと、知り合いがそうなっていく姿を見たくないというのもあります。僕はそんなことをしたくてライターや編集者になったわけじゃないと強く思っているんですけど、知っている人がそこからズレていくから、余計に悲しくなるんです。

そもそもそんなことしたって虚栄心が満たされるだけで、得なんてないですから。意外と一部の賛同者以外の一般人、特に同業者は冷静に眺めているもんなんです。そして、「あの人のことは気をつけておこう」「距離を取ろう」「仕事はしないようにしよう」なんて考えているわけで。一般人なら特に問題ないですが、メディアに関わっている人だとブレーキとアクセルがバカになる。もっと言えば、他人に利用されて、踊らされてしまうんですよね。

だから、「自分の気持ちを語ること」と、「世の中で起きた出来事を批評すること」「誰かの意見に反論すること」は違うんだと明確に意識しなきゃいけないなと思うんです。バランスが取れている人はちゃんといますからね。
そして、大事なのは「ワイドショーのコメンテーター気取りなんてバカだな」なんて自分に関係ないと考えるのではなく、自分もそうなる可能性がある・・・いや、こんなことをnoteに書いてる時点で、片足を突っ込んでいるんだと自覚することなんじゃないかと。

この期間の「ワイドショーのコメンテーター気取り病」の先にある結末が見えてくるのは数年後。コロナ自体に罹患しなくても、メディアに関わっている人間として“末期症状”になっている可能性は十分あるでしょう。数年前にもてはやされていたインフルエンサーの没落具合をみれば、それは明らかですよね。

この「老害化」と心身の「老化」。以前から同じようなことを何度も書いてますけど、この二つとどう向かい合っていくのかが、40代のテーマだなと思ってます。自分が「老害化」しないなんて言えないですけど、するなら自覚を持って老害になりたいなと思う今日この頃です。

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