勉強する意味

大学院の時、研究の事を知ってる人と知らない人が一緒にいると、どうしても知らない人向けの説明になりがちで、知らない人向けの説明をしたら、細かい話はいいかみたくなりがちで、そうしたら、勉強というのは説明する側からしたら、説明を理解するため、さらに発展的研究をするために必要なのかな。と思ったりもした。出発点というか僕の場合はそれはしなかったけど。

大学が形骸化していると叫ばれて久しい世の中ではあるが、父さんの説明の方がわかりやすいが、つまり、説明する方がより高度な内容をするために知らないものを説明する手間を省きたくて、知らない事を知ってる状態にする過程は教育に回そうという気分が教育を作ってるんじゃないかとあくまで持論だが、たどり着いた。いや、もうちょっとなんかないのかな。いいけどさ。まあ。

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