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睨まれ損の、くたびれもうけ

睨まれ損の…

睨まれ損のくたびれもうけ
(にらまれぞんのくたびれもうけ)

睨まれ損のくたびれもうけとは、
人と違うことをしていることで睨まれることがあるけれども、
気にしなくてもよいという意味。


視線というものには、感情が乗り移るものです。

睨むとは、鋭い目つきで見ること。

人から睨まれるような場合、
ひとつ言えるのは、
その相手は自分に対して好意をもっているものではないということ。

そもそもが嫌われているのだから、
こちらから近づこうとしたところで得られるものはなにもないのである。

嫌われている相手に好かれる努力をするくらいであれば、
自分のことを想ってくれる人に愛情を注いだ方が良いに決まっている。

睨みつけてくるような相手に対して、
こちらから近づこうとしても、
無駄な労力に終わってしまうことが、
睨まれ損のくたびれもうけ。

自分の人生の限られた時間のなかでは、
無駄な時間は使わないようにしたいものですね。


なんのために…

なんのためにマスクを着用するのか?

そんなこと、聞かれなくてもわかってるって?

マスクは、衛生上必要とされる場合や、
ウィルスの感染を防ぐ目的で着用するものです。


一昨日の夕方のこと、
近所を歩いているときに、視線を感じた。

道の反対側から、ものすごく睨みつけてくるオッサンが一人。

なんか用かな?と尋ねるまでもない。

こちらが一歩でも踏み出そうものなら、
「無礼者!」と、
切りかかってきそうなくらいの勢いの睨みようである。

睨まれ損2-1

できるだけ気にしないようにと、
その場を去った。

とはいうもの、気にはなる。

ひとつ、思い当たることがあるとすると、
マスクをしていなかったからかも。

マスクをしていないだけで睨まれがちとは聞いてはいたけれど
あそこまで憎悪の感情をぶつけてくるのもいかがなものだろうと思うのだけれどね。

だいたい、オッサンもさ、
マスク小さいんちゃう??
って感じやったし。

睨まれ損2-2


昨日、緊急事態宣言が解除された。

昨日今日と、
途端にマスクをしている人の数が減ったように思うのは気のせいか。


今朝、いつもの道を歩いていると、
一昨日のオッサンとすれ違った。

なんと、

オッサンは、

マスクをしていなかった。

「えっ?」
思わず、二度見してしまった。

目が合ってしまい、
一瞬だけ、睨まれたが、
一昨日ほどの気迫は感じられなかった。


おぬしは緊急事態の最中にもしていなかったであろう、
ワシは解除されたからしていないのだからよいのだ。

とは聞いてはいないけれど、
まぁ、そんな感じね。


消毒用アルコールを噴霧する車両が通ったわけではないし、
わずか一日や二日で近所の空気が変わるとも思えない。

つまりは、
オッサンにとっては、
マスクを着用するかどうかは
緊急事態宣言という「ルール」が決めるものであって、
感染が心配だから着けるものではないのだろうね。


自分が決めるのではない。

自分が考えるのではない。


「ルール」が決める。

自分はそれに従うのみである。


卒業式の翌日にパンチパーマ当てるヤツと似たようなもんね。

そんなオッサンに睨まれたことを気にしかけた自分が情けない。


睨まれ損のくたびれもうけとはよく言ったものである。


骨折り損のくたびれ儲け

(ほねおりぞんのくたびれもうけ)

骨折り損のくたびれ儲けとは、
苦労をしたが結果が出ず、
疲労感だけが残ること。

苦労することを、
骨が折れるというが、
本当に骨折するわけではない。


その昔、園遊会に招かれた柔道の五輪代表選手、

天皇陛下から
「一生懸命に努力をなさって、骨が折れますね」
とお言葉をかけられて、

「はい、二年前に一度」
と答えたらしい。

意味がちゃうやーん!


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