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いつもと全く違ったことを今日はつぶやきます。私の好きなボディビルダーの方の一人がInstagramのストーリーで、彼が中学校の時に書いた命の重さについての作文を載せていました。内容を簡単に説明すると、どんなに強く強靭な人でも命というのは一つであり、私たちが思っている以上に儚く終わってしまう。だからこそ、命の重みを日々感じ、精一杯に生きようといった内容です。まず初めに、中学生でこんなことを書けることに感心した。
私は、三年前に祖父を亡くしました。人生で初めて身内の死を体験しました。小さいころからおじいちゃん子で、何かあればおじいちゃんの部屋に行っていました。お菓子が欲しかったらおじいちゃんの部屋へ、お小遣いが欲しい時はおじいちゃんの部屋へ。とにかく私の中では祖父がいることが当たり前でした。それに今でも実家に帰ったときはおじいちゃんがいないことにすごく違和感を感じます。
 私が大学で実家を出るときには私の祖父は認知症気味であまり会話が通じなかったことを覚えています。何を言っても伝わらなかったり、何年も前の話を急にし出したりしていたことに少し面倒だと感じ、そんな祖父に冷たく当たっていました。そして、亡くなる約一か月前、家族LINEに母親から「みんな一回タイミングみておじいちゃんに会いに来て」とLINEが来ました。三人兄弟でみんなタイミングはバラバラでしたがおじいちゃんに顔を見せに帰りました。兄が兄弟の中で一番最後に帰省したのですが、その兄が実家から東京へ戻る新幹線に乗っている時に母親から「〇〇時○○分、おじいちゃんが天国に行きました。みんな最後に会いに来てくれてありがとう」とLINEが来ました。この時に私は、「やっぱ俺のおじいちゃんすげえな」って思いました。ちゃんとみんなに会うまで頑張って耐えて、耐えて、天国に行ったんだと思います。最後の最後に私たち兄弟に顔を見せるために最後の力を振り絞ってくれてありがとう。
 こんなことを書いていると目から涙が流れ出てきた。とにかく言いたいことは、祖父の様に精一杯自分の持っているすべての力を出し切って死にたい。今もし死んだら余力がすごい。まだまだ動けるし、まだまだ考えられる。一つしかない平等に与えられた命を最大限に活用する義務がわたしにはあると思う。今日から、いや今から私は目の前のことに集中して、すべてに全力で挑戦していきたいと思います。
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。
文章力はこれからつけていくつもりです。変な個所等ございましたら気を遣わず、コメントで訂正してください。


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