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リアルはどこから来るのか。 〜『FINAL FANTASY XVの人工知能』〜

どうして、FFを目にするとどうしようもなく胸が高鳴るんだろう。

■本記事は、『FINAL FANTASY ⅩⅤの人工知能−ゲームAIから見える未来−』(株式会社スクウェア・エニックス『FFXV』AIチーム 著、株式会社ボーンデジタル発行)の論評です。■抜粋や引用は論評を目的としており商標や著作権の権利を侵害する意図は全くありません。■インターネット・ウェブメディア「Aiboom」運営代表および運営会社の株式会社Parks代表による個人論評であり株式会社スクウェア・エニックス、株式会社ボーンデジタルとは一斉関係ありません。

デジタルの箱庭に生命を育む

プログラマーはどのような気持ちでゲームを開発するのだろうか?

FINAL FANTASYはあらゆるゲームの中でも、そのビジュアルに拘(こだわ)った作品として世間の評判が高い。
そしてそれは当事者たちにとっては恐らく「リアルさ」の追究を行う職人の道の過程だ。
その道の最も新しい冒険の記録が見られるのが題材に挙がっているFF ⅩⅤである。

さて、もしあなたが目の前の紙に「人間の姿をできるだけリアルに再現して描け」と言われたらどうするか。
まずは、実在する本物の人間をデッサンで描くだろう。
では、それを封印されたら?
しかも、現実の世界ではありえないような状況(シチュエーション)の中での人間を描けと言われたら?

そうなれば、方法はひとつしかない。
「リアルに見えるとはどういうことか」を理論的に解明して、応用できるようになるしかない。
そんな難題を、「動き」を含んでクリアすること。
我々消費者が、デジタルゲームの最先端の開発陣に求めているのはそういうことだ。

技術の集合体としての作品(ゲーム)を完成させるミッションを預かっている技術者たちは、最終的なゴールを見据えた時に、前人未到の領域に直面していることに気づく。
それは、「人間らしいとは何か」という問いに対しての答えを持ち合わせていないということだった。つまりそれがわかっていないと、リアルなキャラクターを描写することはできないからだ。

”モーションや見た目をリアルにしていくと、
知性もあがらないと自然に見えない”

本文中にある「プログラマー同士の座談会」にて、スクウェアエニックス並木 幸介氏が口にした台詞として紹介されている。

これは何かといえば、動きや見た目をリアルに感じさせる技術が発達しても、キャラクターの「意図」を感じさせる技術が伴わないと、全体としてはリアルさが下がるという、悩みだ。*

それに対するソリューションを提供できるような企業は、どこにもない。
では自分たちでやるしかない。
挑戦の糸口はあった。それが機械学習をはじめとする人工知能先端技術である。

私は、彼らのアカデミックの最先端レベルに及ぶほどの挑戦に、下を巻かずにはいられない。

*
「不気味の谷」と呼ばれる仮説でも知られる。

技術的ロマン

人工知能とは、明確な定義は存在しないが、「大量の知識データに対して、高度な推論を的確に行うことを目指したもの」とされている

推論・探索が技術実装された第一次AIブーム、知識表現が技術実装された第二次AIブーム、そして機械学習・ディープラーニングが技術実装された第三次AIブームを経て、人類は一部の分野では飛躍的に大きな進歩を遂げた。

しかし、これらの説明は特殊で抽象的な概念であり、技術体験の本質ではない。
FINAL FANTASYのような作品に触れてようやく、直感的に理解できそうだ。

さて、FINAL FANTASYにおいて、その世界の登場人物は4つの分類で存在する。
「仲間」
「モンスター」
「兵士」
「アンビエント(環境)」だ。
XVではそれら全てに、AIの技術が使われているという。(*)

詳しくは本書を読んでほしいが、本文中には、デザイナーの台詞でその難しさを端的に表したものがある。

これは普通に考えれば ”見合わない挑戦” だと。

特に、主人公の動きに常時インタラクティブな仲間のキャラクターをAIで実現したのは、完全に「新しい世界」だった。
世界ではAAAクラスのRPGであっても、主人公が一人で冒険するシステムばかりだという。

それなのにどうしてそこまでこだわりをみせたのだろうか?

それは”新しい何か”を見せる精神性こそが、FINAL FANTASYにおいて大切だったからだそうだ。
それを受けてゲームデザイナーの上田文人氏は帯にこう寄稿している。

”いつの時代もビデオゲームには”技術的ロマン”が必要で、
現代のそれはAIである”

(「このゲーム、なんかめちゃくちゃすごい技術で作られてるらしいぜ!」という興奮のやりとりを想像できる)

私がFFを目の前にして「どうしようもなく胸が高鳴る」のは、”新しい何か”がそこにあると感じ取っているからなのだと感じた。

*
また興味深いことに、XVには写真AIも搭載されている。旅の体験を後から追憶できるようなシステムだ。
考えてみると「写真」こそ、現実において、我々がリアルを感じられる最も身近で重要なツールではないだろうか。

海外ファンの反応

以上が、私が本書籍を読んで感心したことだ。

このブログを書くにあたって、FFシリーズ通してのファンでありFF XVのプレーヤーである友人E. X. にFF XVの感想を求めてみた。すると以下のようなメッセージを寄せてくれた。

"The gameplay was exciting and fluid, each battle was very satisfying. I liked the small details in the game, like interactions between the four characters and details in the enemies and environment. The game was also very visually beautiful and the story was captivating"

(刺激的で滑らかなゲームプレイでした。すべての戦闘が満足。ゲームの中にある小さい演出が好きでした。例えば四人のキャラクターと、敵や環境の相互作用とか。また本当に見た目が美麗で、ストーリーは魅惑的でした)

E. X. はMITの計算機科学専攻を卒業し現在はGAFAに勤める、いわばコンピュータの専門家である。
ちなみにアジアの血が流れるアメリカ人であることもあってか日本の文化に詳しい。
「もしかしたらこのブログ、スクエニの方が見るかもしれないよ」と言うと非常に喜んでいた。
大学院卒業後E. X. と連絡を取り合うことはあまりなかったが、Instagramにこの本の写真を載せたところ久々にメッセージで盛り上がった。

旧友との親交を温めるきっかけ、そのような意味でも、私はFFという世界共通言語に感謝しなければいけない。


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このnoteは以下の書籍に関して書かせていただきました。


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