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なぜ生きる

なぜ人間は生きているのでしょうか?

誰もが一度は考えたことがある事だと思います。特に、夜布団に入って暗い天井を見上げながらぼんやりと考える人が多いんではないでしょうか笑。僕もこの答えの見つかりそうにない疑問を初めて考えたのは中学1年生の冬くらいだったと思います。そのころは、小学1年の頃からひっそりと片思いしていた女の子に彼氏ができ、自分は思春期ニキビ、突然変異でくるくるくせ毛に変わった髪質により自分に自信が持てなくなっていった時期でした。もう消えてしまいたい。何度もマンションの最上階の階段から見えるたくさんの家の明かりをぼうっと見ながら思っていました。なんで自分は存在しているんだろう。そのころは、テニス部に所属しており、先輩や先生にも恵まれていたため部活動が心の支えとなっていた。大会で強い相手を倒して賞状をもらうため、そして、全校集会で女子卓球部と同じようにみんなの前で表彰されるために生きているんだと思っていたと思う(女子卓球部は地区では断トツ、県でも上位を狙えるような強豪でした笑)。実際、中学最後の試合に負け、本来なら高校受験のために受験勉強をスタートさせなければなりませんでしたが、一か月くらい、夜もまともに眠ることが出来ず、日中もずっと壁にもたれかかってぼうっとしていました。部活を引退する前までは学校の成績もかなり良く常に10位以内には入っていたと思います。ですが、引退後のテストでは15位、20位とどんどん成績が落ちていきました。高校でもテニスをしようと決めていたので、その年のインターハイ予選で団体で県ベスト4に入っていた(あんまり覚えていないので間違っているかも笑)高校に進学しようと決めた。学業の方は県ではそこそこのレベルの高さだったが、多少成績が落ちても、これまで頑張った分の貯金のおかげもあり結構余裕で合格できたと思う。高校で生活が始まって始めの頃は友達作りや勉強、部活の方でいっぱいいっぱいで考える余裕はなかった。だが、高校2年生の頃から、その当時の担任の先生の影響もあり将来のことを意識するようになった。僕の通っていた高校はほとんどの学生が大学進学をするので、高校2年生の頃にはとりあえずの志望校を決めなければならなかった。担任の先生が「全員、旧帝大クラスの大学を目指してもらいたい」と始業式の日に言い放ったためかほとんど全員が志望校の欄に旧帝大の名前を書き綴っていたと思う。自分もそこまでやる気はなかったが第一志望の欄に千葉大学と書いた。だが、高校2年になり勉強も一気に難しくなり予習復習をしなけらば正直ついていけないレベルだった。だが、どうしても勉強に対してやる気が出なかった。授業中はほとんど脳死状態で黒板の文字をノートに書き留めているだけで予習も復習も全くしなかった。期末テストも、ほんらいなら3週間、いや、もっと前々からテスト勉強を始めなければならないのにいつもテスト前日に徹夜して臨んでいた。そのころの自分は、行きたい大学もない、なりたい職業もない、なんで勉強を頑張らなくちゃいけないんだとずっと思っていた。ただ、中学同様、部活動だけは熱心に取り組んでいた。部活の時間は真剣に取り組んでいたし、暗くなるまでボールを打ち、家に帰った後も筋トレやランニングをしていた。そのころの生きがいは、テニスの大会で幼いころからテニスをしているエリートや、自分より年上で長くテニスをしている人たちを倒すことだった。これがその時の自分の生きる理由だった。高校最後の試合はあっけなく終わってしまったが、中学の時のように一か月ずっと無気力状態になることはなかった。そもそも、周りの影響もありゆっくりしている時間はなかった。自分のすぐに受験勉強を始めなければと思った。けど全くやる気が出ない。周りの子たちが学校に残って勉強するから何となく自分も残って勉強するふりをする。そんな生活をしていた。正直、全中もインターハイもないこの先の人生に全く興味もないし、別に終わってくれてもいいと思っていた。ただ、そんなことを親にも友達にも先生にも言うことはなく、大学も担任の先生が進めてくれた大学に進学した。大学でも結局テニス部に入部することにした。最初の方は中学、高校同様、純粋に楽しかった。ただ、大学2年に上がったころからか、なんだかつまらないなーと感じることが多くなっていった。部活を辞めようかと考えたことも何回かあった。そのころからか、これまで以上に、自分っていったい何がしたいんだろうか、何になりたいんだろうか、何者なんだろうかと考えるようになった。それは一年生の頃はほどほどにまじめに受けていた講義もそのころからか毎回遅刻するし、欠席して友達に代筆を頼む回数も増えた。課題も友達の物を見せてもらって写して提出する事ばかりだった。何にもやる気が起きなかった。大学3年生のある日、このままじゃまずいなと思ったのか、まずお金を稼ごうと考えた。お正月にあった高校時代のテニス部の同期が仮想通貨の話をしていたのを思い出して、仮想通貨を買ってみることにした。そして、そのことをTwitterに乗せてみた。すると、知らない人からメッセージが届きビットコインを使ったビジネスをやらないかと誘われた。いはゆる、MLMだ。詐欺だと気づくまでにおよそ50万くらいつかったと思う。友達も一人だが巻き込んでしまった。本当に申し訳なく思っている。その後も、自分は学習せずにネットに転がっている情報商材に手を出し、借金までして、二つほど失敗した。合計で80万くらい失ったと思う。このことを知っているのはこの世で自分以外には一人だけだ。それ以外には一度もしゃべったことはない。だた、このころの自分は中学、高校の部活動の時の熱意ははるかに及ばないまでも、多少のやる気はあったと思う。ある時、部活の同期に欲しいもの、やりたいことがないのにアルバイトをしている僕を見て、「お金を稼いだ先に何があるの?」と聞かれた。自分でも全く分からない。今でもわからない。どうしてそんなにみんな頑張れるのかさっぱりわからない。今の楽しみはおいしいお菓子やご飯、アイスなどを食べること、テニスが上手な子たちとの試合、いろいろな人の価値観を聞くことくらいだ。だが、あくまで数少ないちょっとした楽しいことであって、生きがいではない。中学、高校での部活動は本当にすべてをかけていたと思う。時間も体力もお金も人間関係も何もかもをかけていた。だが、今の自分には何もない。心の炎も消えてしまったようだ。今、Lisaの炎を聞きながら書いているからふと思った笑。小学校時代はソフトボールやバスケ部、ドッジボール部、長縄跳び、ハイパーヨーヨーやベイブレード、デュエルマスターズ。中学ではテニス。高校でもテニス。今と違って、気づいたら熱中していた。今みたいに熱中したいものが何もなく何か探さなきゃと考えることは一度としてなかった。

なぜ生きるのか。この質問に即答できる方は今の世の中にどれくらいいるだろうか。もし、親へのご恩、死ぬことへの恐れ、友人たちのしがらみ、他人の目線、ありとあらゆるしがらみを取り除いた時、残ったものが生きる理由だと思う。残念ながら、今の僕には何も残らないだろう。だからあの世へ行きますなんてことは絶対言わないので安心してください笑。ただ、何も目標がないのにいつ終わるか分からない人生という長い時間を過ごすのはあまりにも苦しい。つくづく思う。あの頃に戻りたいと。あの頃のような心に常に炎がありめらめらとしていて、目がキラキラと輝いていたであろうあの頃に。

今、書きながらなんとなくわかった気がした。今の自分は筋トレや、お金稼ぎをしている。それはなぜか。さっき書いたように、全てのしがらみを取り除いて、自分には本当に何もの残っていないのか、やりたいことも欲も希望も何一つないのか確認したいからだと思った。実は女性からモテモテになりたい、大金持ちになって多くの人に認めてもらいたい、自分を信じられるようになりたい。そんな思いが心の奥底にあるかもしれない。でもあんまりすっきりした感じではないな。真実にたどり着いた感じではなく、新しいものの見方を発見したような感じだ。

とりあえず寿命を迎えるまで生きれるだけ生きてみます。何が起こるかわからないし、何も起きないのかもしれない。でも、どうせ自分死ぬことなんてないだろうし、時間は止まってくれないからそれなりの人生を歩むように進んでいくと思います。

何か生きる意味や目標や希望が見つかったらまた書いていこうと思います。

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