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『批評キーワード辞典 re-entry』掲載にあたって(大貫隆史)

 ここに掲載するのは、2013 年に刊行された『文化と社会を読む 批評キーワード辞典』のなかでも、昨年来の苦境に深くかかわるのではないかと編者のあいだで考えた、以下の項目です。

「コミュニケーション」
「自由」
「マネジメント」
「みんな」
「国民」
「戦争」
「サヴァイヴァル」
「技術」

 刊行からすでに 7 年以上たっていますので、追加したり捉え直したりすべきポイントも、もちろんあります。たとえば、「マネジメント」の項目をいま書くのであれば、「ガバナンスという言葉」との関係を記述することでしょう。企業活動のグローバル化が一層加速するなか、国境をまたいでその組織化を進める企業ほど、些細なものであれトラブルを忌避する傾向が強まっているように見えます。そのとき、「ガバナンス(統治)」という上から下への意思伝達と、「マネジメント」という個人ないしは小集団による絶えざる努力の、そのどちらもが重要になってくるわけで、この辺りをめぐる諸問題も記述することになるでしょう。

 あるいは、「国民」の項であれば、ナショナリズムが経済的格差をまずは覆いかくそうとする思想や実践である、という前提を、少し考え直して書くことになるかもしれません。というのも、スコットランドが一番分かりやすい例なのですが、ナショナリズムと社会民主主義とのあいだの実質的結びつきの、少なくともその可能性だけは、よく見えるようになってきたためです。(また、オンライン連載された『批評キーワード辞典 reboot』は、そうした継続的な作業のあらわれですので、こちらもぜひ参照してください)。

 ですが、2013 年の刊行時の意図は、2021 年のいまでも、充分につなぎ直しうるものではないか、とも考えています。

 刊行にいたるまでの試行錯誤のなかで、編者と執筆者たちは、日常的な「言葉」というものが、社会の変化というものと、じつは深く関係している、と考えるようになりました。例えば、「コミュニケーション」という言葉であれば、わたしたちはこれを、基本的に良い言葉として使っているように思います。

 もちろん、上手ではない「コミュニケーション」や、悪いやり方で行われる「コミュニケーション」はあることでしょう。
 
 ですが、「コミュニケーション」はことごとく悪である、「コミュニケーション」などこの世からなくなってしまえば良い、という言い方は、いま、なかなか口に出しにくいように思います。

 これは、「コミュニケーション」という言葉そのものが、かなり高い「価値」を持っていることを示しています(この問題は書籍版の「価値」の項目でわかりやすく論じられています)。

 逆に言うと、「コミュニケーション」を低く価値づけて使うのは困難ということです。だから、「コミュニケーション」ってそもそも面倒なものだから、疲れてるときは、無理しないようにしようよ、とは、なかなか言いにくいわけです。

 この「コミュニケーション」の価値は、とりわけ労働の場において、恐ろしい事態につながってきます。いま、メールや SNS を介した仕事上の「コミュニケーション」を、勤務時間外に行わないことを求める動き(仕事をするのであればそもそも勤務時間なわけですが)が広がりつつあるようにも思うのですが、そこでは、「コミュニケーション」はからだを壊しかねない、ちょっと「悪い」言葉です。これは、「コミュニケーション」という語の「価値」を、少し下げてみようよ、という動きなのかもしれません。

 今回、再録する「コミュニケーション」の項目では、どうして、この言葉がそのような意味や価値を帯びるようになったのか、その経緯についての一考察が記されています。

 ほかの項目も同様です。書籍よりの一部再録ではありますが、それぞれ独立した項目なので、高校や大学などで、教材として使いやすいものだと思います。編者としては、オンライン授業などでも、ぜひ活用して頂きたいと考えています。

 『批評キーワード辞典 re-entry』の “entry” には辞書などの「項目」という意味だけではなく、「入口」という意味もあります。昨年来の苦境が、どのような歴史的経緯をもっているのか? この問題を、誰でもつかう「キーワード」を「入口(entry)」としながら考察する、その一助として頂きたい、という狙いになります。

 言葉の意味や価値は、変わるものです。もちろん、そう簡単には変わらないことがほとんどだとは思いますが、変化の試み自体は、日々、どの瞬間でも生じているはずです

 明らかな変化はなくとも、その予兆だけはいつでも見える、ということでしょうか。

 そうした変化の予兆は、言葉について考えたり、その変化の経緯を記述してみたり、また、そうした書き物を読んでみたりする瞬間にも生じているのであって、そのことは、閉塞感の色濃い日々ではありますが、希望の源になり得るように考えています。

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