隔離期間とホームステイまとめ弐

隔離を終え疲弊しきっていた僕はホームステイに胸を躍らせていた。温かい家庭、おいしい料理、快適な部屋、愉快なルームメイト。これらすべてが幻想に過ぎなかったことを思い知らされることになる。

隔離先からタクシーに乗り滞在先へ行く道中、数多くの日本車や無印、セブンイレブンなど見覚えのあるものを見かけつつも日本とは全く違う町並みに感嘆し、遠い異国の地にいることを実感していた。「この家の人はとてもいいよ」とタクシー運転手のおじいちゃんに言われた家を通り過ぎ着いたのは二階建ての年季の入った外観の家だった。運ちゃんがインターホンを鳴らすと初老手前の給食帽のような帽子をかぶり、マスクにゴム手袋をしたおばちゃんが現れた。全く聞き取れなかったが、どうやら玄関ではなく裏口から入れと言っていたらしく、荷物とともに裏口へ。裏口前で泡立つウェットティッシュでキャスターと靴の裏を拭けと指示され、その場で拭き、案内されるまま自分の部屋へ。

驚いた。三畳ほどの部屋に所狭しと並べられた脚の長いベッド、タンス、机に椅子。あまりの狭さと人の家特有の変な匂いに唖然としているとホストマザーは自分をフィリピン人のエルシーと名乗り、足早に家の説明を始めた。ここが風呂とトイレ、シャワーはこう使う、隔離期間はシャワールームと部屋以外立ち入り禁止、Wi-Fiのパスワードはこれ、食事はこの時間に出す。など説明を受け、僕のホームステイは始まった。

ホームステイでまずはじめに立ちはだかった壁は言語、その次が食事、最後にルームメイトである。

言語の壁と書いたが、厳密にはホストマザーエルシーの声質と発音、話し方に問題があった。典型的なダミ声に訛り、声が大きく、向こうが聞き取れないと「ha!?」といった調子で聞き返してくるため相当なストレスだった。さらに向こうの勘違いで怒鳴ることや頑固さなど、退去まで様々なトラブルが発生することになる。

第二の壁食事。これは相当にゆゆしき問題で、特に隔離期間はひどく、ぶよぶよのソーセージ、塩っ気がなく奇妙な風味のするポテトサラダ、東南アジア特有の香辛料の入った料理などそうそうたるメンツが登場した。二度あることは三度あるという具合で頻出し、僕の心を粉砕していった。記憶に残っている食事が二つある。一つ目は時差ぼけとあまりのまずさでダウンし、あっさりした食事か、あるいは食べ慣れた日本食が食べたいと伝えた日の昼である。朝は起きたものの日中は常に眠い状況が続いていたので、起きたら午後の三時を回っていた。朝も昼も食べないのはまずいと思い、慌てて扉を開けると、朝食のコーンフレークとともに鎮座していたのは韓国の有名なカップ麺である辛ラーメンだった。辛いのが苦手なので三割ほど食べた後、諦めた。二つ目は隔離が開け、退去まで秒読みといった時期のことである。夕飯はキッチンの机に置いてあるのだが、タッパーに入っていたり紙皿だったり普通の皿に乗っていたりと様々である。タッパー以外の時はアルミホイルで蓋をし、名前が書いてあり、中身が見えないのが常。その日は通常の大きさの紙皿で何やら軽く、いやな予感がしていた。おそるおそるアルミを剥がすと二きれのピザが顔を出した。いくらビジネスでやっているとはいえ人にはやってはいけないことがあるだろうと、悔しさをにじませたのは言うまでもない。

第三の壁、ルームメイト。この家には三人のルームメイトが暮らしており、それぞれコロンビア、パナマ、韓国の男たちだった。特に問題だったのはパナマで、共有スペースでの大声での通話、大音量動画視聴、うんこしても換気扇を回さない、学校に行く時間帯に長いシャワー、僕が水を入れて冷やしておいたピッチャーを部屋に持って行ったまま戻さないなど悪事をあげればきりがなく、度々頭を悩ませていた。退去を早めたのは主に食事や熱波だが、間違いなくこいつの責任でもある。

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