健康おやじ 令和2年 #4


   皆さん、こんにちは 。
 新型コロナウイルス騒動も6月に入り 少し落ち着いてきた感があります。
 ここ広島でも 夜の街 、流川通りや、薬研堀などの 歓楽街も 営業自粛が 解除された今 、多くの 若者の歩く姿が 見受けられるようになりました。
  また、私どもの治療院にも 、コロナを心配して、 先生の所は営業していますかと 、問い合わせの電話を、 多くの方々から頂きました 。
 お陰様でコロナに関係なく 、いつも通りに休まず、 元気に営業しておりますと、 お答えしましたが 、治療院に来られた方からも 、 風邪ひとつひかず、 30年来、 1日として病気で寝込んだことのない 私の、 いつまでも変わらない 元気な 姿を見て、 先生の その「元気で健康」の秘訣は何ですかとよく聞かれます 。
 ということで 私の「健康の秘訣」について、 私の「独断と偏見」で 私なりに思っていることを書いてみようと思います 。
   (「私の健康の秘訣」を 1年前のブログで出したことがありますが 、今回のブログは、それに少し角度を変えて書いてみようと思います)

 今から 25、6年くらい前のことになるでしょうか 、何分にも古いことなので、 定かでないところもあると思います。
  私の治療院から歩いて 15分足らずのところに 華(はな)と言う 7、8人が入ればいっぱいになるような 小さな 立ち飲み居酒屋がありました 。
 そのお店は毎日が「常連客」ばかりで、客筋も良く、 私も週に2度くらいはそのお店に顔を出していました 。
 そこで顔見知りになった 私と同年輩の人、( 仮に A さんと呼びましょう )。
 その A さんと親しく話をするようになりました 。
その頃 A さんは 、半年前に奥様を 病気で 亡くされ たと聞いていました。
 ある日のことです 、そのお店で A さんが私の横に来ると  次のように 私に話しかけてきたのです 。
 先生、 私は女房が死んでからというもの 、毎朝、仏壇の位牌の前で 手を合わせ、「 お線香」をあげると 、「ご飯とお茶」を欠かすことなくお供えしています 。
 すると、自然に泣けて涙が出てくるのです、 このようにしんみりとした口調で私に語りかけるのです 。
 その話を聞いた私は 、奥さんは「幸せ者」だったのですね 、亡くなられた今でも、こうして A さんにいつまでも思ってもらって、と言ったのです 。
 すると A さんは 、「いや、そうじゃないんですよ、 仏壇の前で手を合わせ、流す涙は 後悔の涙なんです」 と言うのです。
  そのAさんが言うことには、妻に先立たれたことについては 運命と思い、 それはそれで諦めています 、ただ妻に対して、 今になって生前のことが思い出され 、毎日 のように「後悔の念」が涙を誘うのです と、次のように、そのいきさつを、私に話をしてくれました。
  生前、 A さんの奥さんが 友達同士で グループ旅行に行きたい と、A さんに 何度か言ってきたことがあったそうですが 、それは「ダメ」と反対ばかりしたそうです。
  また、他にも 奥さん が好きな事や、 色々としたかったことに ついても、A さんは、何故かあまり良い返事は しなかったそうです。
 妻が亡くなった今になって 、あの時、なぜ妻の言うことを 快く聞き入れてやらなかったのだろうかと、  そんなことばかり が思い出され、 自分が反対したことに 、悔やまれてならないというのです 。
 私は、その A さんの話を聞くと 「貸しビルのオーナー」でもある A さんは、 誰彼なしに 、こんな話をするような人では ありませんので、 私に話してくれたこの話は、「 天からの啓示」だと私には思えたのです 。
 それからの私は 、A さんの「二の舞」は絶対にしないようにしよう、 後悔をしないようにと、 心の中で硬く思ったのです 。
 そのように私は覚悟を決めると、 私にできることであれば どんなことでも「 許容」しよう 、そして認めてあげよう 、そのような心構えができるようになりました 。
 すると私自身に不思議な 変化が 少しずつ起き始めたのです。
 ストレスをあまり感じないようになりました 。
 人間はこの世では 一人で 生きていく ことはできません 
  家族であれ、友人であれ、何らかの形で 付き合いをしなければいけません、そのため 自分が気に入らないことは、 些細なことで腹が立ち 、聞きたくない言葉一つでも心が乱れ 、そのことがストレスとなるのです 。
  そのため生きるためには、私も含め、誰でも大なり小なりストレスを抱えこむのです。
 そのことが日常生活に おいて、 どんな人であれ、 誰もが感じる 「心身のストレス」となるのです。
  心身ともに病気をしないよう、そのための「健康の秘訣」として、私がいつも思っていること があります 。
 それは心身の(健康を害する)ストレスをできるだけ感じないようにする、そのために は ストレスの 原因となった出来事 についても、なんでこうなったんだろう と 、いつまでも、「くよくよ」と 思わない ようにすることです。
 私はこの 一つのことだけ を、いつも心がけるようにして います 。
 そして、明日の命さえわからない 人生 だと思うと、「 今を生きる」ことだけ を前向きに考え 、「どん」と大きく構えて 過去は振り返らないようにする、 そうすることにより ストレスをためないことで 、 いつの頃からか、病気に対抗できるような「 不思議な直感力」をも感じるようになりました。
  このことが私の「健康の秘訣」のひとつの大きな 要素 だと私は思います 。
  少しは、参考になったでしょうか❓
最後になりましたが 、人生の生き死にの、岐路に立たされた時の、「 君子」 と言われた「孔子」の ある 言葉を ご紹介しましょう 。
 皆さんは「論語」という言葉をお聞きになったことはあると思います 。
中国の 「四書五経」 のうちの一つ で、今からざっと2500年前、 中国の乱世の時代と言われた「 春秋時代 」に生きた人で、 「 孔子」 とその弟子の 言葉を 、後に編纂したのが「論語」です  。
 その 「論語」の 中の一節に 次のようなエピソードがあります 。
 ある時のことでした。
 寝食を共にし「 孔子」を君子と仰ぐ 20人ほどのその一団は 戦場を避け、少しでも安全な場所へ と旅をしながら 移動中のこと でした 。
 その途中 、呉の国 の敗残兵部隊に遭遇し、 荷車に積んでいた、 「孔子」の一団の 食料や 、衣類、 生活に必要な道具類を 全て奪われてしまったのです 。
  この戦乱の中 、行く先々の集落は 無人の集落で 食べ物は手に入らず、わずかな食べ物等を見つけては 、生き延びてきました。
  とうとう八日目には 、その食べ物も底をつき 、「フラフラ」になった「 孔子」の一団は、飢えと疲労で 「餓死寸前」になりながら 、無人の集落にたどり 着いたのです。
 そして、それぞれが思う場所に倒れこみ 、横になると、死を覚悟していました 
 そんな状況の中 「孔子」は端座すると 、静かに琴を爪弾き始めたのです 。
 それを見た「孔子」の高弟の一人が 「ふらふら」しながら歩み寄ると 、琴を爪弾く「孔子」に対し 、「君子も窮することがありますか」と怒っているかのように 口に出して 問いかけました。
 この高弟、「子路」は 、今まで我々は何のために、師について学んできたのであろうか、 明日の命さえわからないような状況に なぜなったのか、 このことが非常に悔しかったのでしょう 、再び「 君子は窮することがありますか」と怒って問いかけました 。
 それを聞くと 「孔子」は 静かに「子路」を見つめ 、力強い声で 「君子固より窮す、 小人斯に濫る」(君子もとより窮す、小人これにみだれる) このように言ったのです 。
 この言葉を 私の独断で解釈すると、 この一団のリーダーたる 「孔子」は 、明日の 命さえ知れないこの状況に、 誰よりも心を痛めている 、だが、 どうなるかわからない 明日のことを思い悩み、 心を 乱しても、一体何になるであろう、 命ある今を生きることが大事なんだ と。
 
 「論語 」の一節を引用させていただきましたが 、ストレス解消のためには、現在 のこの 新型コロナウィルスの騒動 という世相に鑑みても 、 この 孔子 の言葉は 今日でもある意味、通じる言葉ではないでしょうか 。

          完。

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