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祝!デクスター復活「必殺主水VSデクスター」日米ダークヒーロー対決

あの愛すべきシリアルキラー・デクスター・モーガンが奇跡の復活!

どんどん厳しくなる自主規制で、絶対に続編製作は不可能だと思われていたアメリカ連続ドラマ「デクスター 警察官は殺人鬼」ですが、サブスクで奇跡の復活。
デクスターは10年の封印を解き、再び猟奇殺人の道へ……
しかし、そこへ新たな敵、そして最大の困難に直面!
デクスター人生の最大の難問がたちはだかります。

デクスターに匹敵する日本が誇るダークヒーローが「必殺仕事人」の中村主水です。

東西のダークヒーローを比較しながら、ドラマ「デクスター」の本質に迫っていきます。

「デクスター 警察官は殺人鬼」とは?

「デクスター 警察官は殺人鬼」は2006年から2013年まで8シーズンに渡って放送された米国のケーブルテレビ局「SHOWTIME」で放送されたサスペンスドラマです。

デクスター・モーガンはマイアミ警察の血痕検察官を隠れみのにするシリアルキラー。
幼少のときに目の前で母が血まみれで殺された事件がトラウマとなり、殺人衝動が抑えられなくなりました。
デクスターを保護した警察官のハリーは、彼の本性を早くから見抜き、「法の目をかいくぐる悪人以外殺してはいけない」という掟を課します。
掟に従いデクスターは罪を免れた極悪人を絞り込み、バラバラにしてマイアミの海底に沈めていきます。

絶対に人には知られてはいけないダークな部分を持ちながら、義妹のデボラには仕事も私生活も完璧にこなす頼れる兄貴として見られています。

人間らしい愛情を感じることができないサイコパスですが、普通の人間をカムフラージュするために、簡単には結婚できないシングルマザーのリタとつき合っています。

やがて海底の死体が暴かれ、同僚刑事ドークスがデクスターを疑うように……
一方、最初はカムフラージュに過ぎなかったリタへの思いが次第に本物になってゆき、ついに結婚し、長男ハリソンまで生まれます。
ところが殺人鬼の因果か? デクスターには最大の悲劇が待ち構えています。
最終的にデクスターの正体を知ってしまったデボラの精神は崩壊。
はからずも同僚刑事を殺すことになり、最終的には植物人間になったデボラを海に沈めます。
義妹デボラはデクスターの最大の被害者です。
デクスターは海難事故での死を装い、オレゴン州で別人として暮らしていきます。

「デクスター:ニュー・ブラッド」とは?


前作から約10年の時を経てデクスターが復活し、10年後のデクスターの姿が描かれます。
別人ジム・リンジーとして雪深い田舎町でひっそりと暮らすデクスター。しかし、彼には人知れぬ同居人が……なんと死んだ妹デボラの亡霊となってデクスターにつきまとっています。
不幸な死に追いやったデボラに対する罪悪感のために、デクスターが脳内で作り上げた別人格なのか?

生前、ブラコン気味だったデボラとうって変わって、ときに自分に都合よく現実を歪めるデクスターのツッコミ役として登場します。

デボラ演じるジェニファー・カーペンターとデクスターのマイケル・C・ホールは前シリーズ中に結婚とスピード離婚した後も共演し続けており、まさに腐れ縁という感じ。日本で言うと明石家さんまと大竹しのぶみたいな関係ですね。

警察情報を仕入れるためかデクスターはまたも地元警察の女性署長でありシングルマザーでもあるアンジェラと恋仲になっています。

長い黒髪がデボラを思わせて、シングルマザーでもあり、女性の好みは相変わらず。

こうやって、女性に取り入って自分を守るのは天才的です。
しかし、それが逆に災いの元になってしまうのですが……
10年間、快楽殺人から離れていたデクスターですが、あるきっかけで再び殺人に手を出してしまいます。
さらにあろうことか、デクスターは衝撃的な再会をします。
亡き妻リタとの間にできた一粒種のハリソンです。
高校生になったハリソンは、実の親にほったらかしにされていたにも関わらず成績優秀・スポーツ万能でした。
しかし、やはり血は争えなかった。
デクスターの遺伝子がうずくのか、やがて凶暴な面を露わにします。
「親の因果が子に報い」
と言う通り、災厄が息子ハリソンに降り注いで、苦悩するデクスターです。
アメリカ版「必殺仕事人」のようなテイストで始まったシリーズでしたが、年数を経て「真景累ヶ淵」「怪談牡丹燈籠」の三遊亭圓朝作の怪談話のような因縁話が展開していきます。
町はマイアミとは真逆でデクスターの心象風景のように常に雪に囲まれています。

「必殺仕事人」中村主水とは?


藤田まこと演じる中村主水がテレビに登場したのは池波正太郎「仕掛人藤枝梅安」を原作とする「必殺仕掛人」(朝日放送)から始まる時代劇の必殺シリーズの第2弾「必殺仕置人」からです。
必殺シリーズは金をもらって法の目をかいくぐってはびこる悪を仕留める殺し屋たちの物語が圧倒的支持を受け、1972年から1987年長きに渡って放送されました。
(作品ごとに仕置人、仕留人、仕置屋、など職業名が変わりますが、便宜上仕事人に統一します)
その中心キャラクターが中村主水。
他の殺し屋たちが完全に裏社会の住人なのに対し、主水だけは普段は奉行所の平同心として働き、裏では凄腕の殺し屋・仕事人として活動しています。
デクスターと同じように警察・奉行所で犯罪のすぐ近くにいるから悪人を特定しやすい。自分がピンチになっても情報がすぐ手に入るので危機から脱出しやすい。など、表稼業を上手に使う危機管理に長けてけっして職場にも家族にも正体がバレることはありませんでした。
ドラマのテイスト自体が「弱者が最後には強くなって極悪を倒す」という今のなろう系小説で言えば、「俺ツエー」や「ざまあ展開」など大人のファンタジー的要素がある内容だったのでけして主水の正体がバレたり、死ぬことはありませんでした。
厳密に言うと「映画必殺!主水死す」で一度死んでいるのですが、
やがて、復活。必殺ファンは主水を殺すことを許しませんでした。
結局、藤田まことは生涯中村主水を演じ続けました。

日米二大ダークヒーローの決定的な違いとは?


主水は仕事人(殺し屋)で金のため、デクスターは殺人鬼で快楽のために人を殺します。
2人には悪人、しかも、法では裁けない極悪人しか殺さないという「鉄の掟」があります。
似ている部分の多い2人ですが、なぜ主水は生涯裏稼業がバレずに終わり、デクスターは最終的に露見してしまったのか?
2人とも架空の人物だから真剣に考えてもしょうがない事ですし、あくまでも私の仮説なのでサラッと読み流してください。
それは主水が常にちょっと不幸だったのに対し、デクスターが常にちょっと幸せだったからではないかと思います。
現代風に言うとデクスターは常にリア充で、主水は非リアでした。
主水は奉行所では昼行灯とバカにされて、家に帰ると婿養子で嫁と姑の2人からいびられ、種なしカボチャと言われて跡取りもできない。
現実社会ではあまりにも無能過ぎて、あるいは無能を装っていたために誰も仕事人と気がつかなかったようです。
一方、デクスターは職場では優秀な血痕検察官だと認識され一目置かれて、私生活でも関係を持つのはいつも美女と決まっているし、(女優だから美人なのは当たり前だけど)義妹からは慕われていて何も不自由がないんですね。
主水は殺し屋になる前から、同じ境遇だったので、のさばる悪を見て我慢できなくなり、本領を発揮して仕事人になってしまいます。
主水がデクスターのようにリア充キャラであれば、ここまで必殺は長く視聴者に支持されなかったでしょう。
人気漫画「GANTZ」の主人公・玄野計は主水がモデルだと言われています。学校では落ちこぼれで運動音痴の玄野がGANTZの世界だけでは凄腕のプレイヤーです。
なろう小説では主人公があまりにもできすぎる奴で充たされた人物だと、読者からの嫉妬をかって途中でよまれなくなるとか。
そこで「ヘイト管理」と言って主人公を読者に共感を持たれるようにキャラ設定を行うのです。
平凡な能力の主人公は最初は不遇ですが、無敵の能力を獲得していじめた奴らを最後には逆転して無双するのがテンプレートです。
ちなみに必殺以外の当時の主人公は「水戸黄門」とか「暴れん坊将軍」とか身分を偽っていても、裏も表もリア充な人物でした。
主人公が等身大というよりも、大衆が憧れる人物だったんですね。
そういう意味でいうと主水は現代的な主人公の先駆けと言えるでしょう。
一方、デクスターは幸せ過ぎた。
本人は別に幸せになるつもりがないのに、色んな面でポテンシャルが高いので、うっかり幸せになってしまう。
デクスターが追い詰められる姿を見ると、仕事に恵まれて、美人女優の奥さんをもらっているのに不倫で、転落する芸能人をついつい思い浮かべてしまいます。
それだけ恵まれているのになんでまた不倫するの?
嫉妬を買いすぎてヘイトが溜まりすぎていて、落ち度があったときに、犯した罪以上にバッシングされるのかもしれません。
彼らもひょっとしたら、はなから結婚に向いていない根っからの女好きなのに、ノーマルをカムフラージュするためにデクスターと同じように恋愛・結婚しているのかもしれませんね。

幸せ過ぎると揺り戻しがやってくる?伝説の雀士の運の哲学

「麻雀放浪記」で知られる阿佐田哲也が別名・色川武大で書いた「うらおもて人生録」で運の理論が語られています。
毎日の運は大相撲の場所で言うと8勝7敗、あるいは9勝6敗を目安にしろというのです。「人生勝ち越すぐらいがちょうどいい」とおっしゃるワケです。
普通に考えたら全勝優勝とか14勝、13勝、ぐらいじゃないと大関、横綱になれないじゃないかと思ってしまいます。
しかし色川運理論によると、あまりにも勝ち過ぎてしまうと運のゆりもどしがあって、大きな不運に見舞われる確率が増すと言うのです。

「うらおもて人生録」では直木賞もとり、ドラマでも高視聴率をとった人気脚本家兼直木賞作家が突然、飛行機事故で亡くなったことを例にしていました。

長々と書き連ねてきましたが、何が言いたいかというと、今の不幸はいつ訪れるかもしれない大不幸を回避するためのものかもしれないということ。

運が良すぎるのも、幸せすぎるのも考えものです。

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