「流れに従って生きる」ー再独立編ーACT74:沈黙していた本当の理由
私は、E氏のメールや着信に反応していられない理由がいくつかありました。
一つは、彼女の実家の建築工事で図面を描いたり現場に行ったり、資金回転をさせながら自己流の経営手法を模索する日々を送っていましたし、それと同時に時々仙台市に行っては、ST様と家づくりの打ち合わせをしていました。
そんな本業を軌道に乗せることに神経を注いでいましたので、E氏とのやりとりで集中力を散漫にしたくないという思いがありました。
そして、実はそれ以上にE氏とやりとりしている気持ちになれない歴史的出来事が仙台市で起きていたのです。
それは・・
『ベガルタ仙台』なのです。
その年の、ベガルタ仙台は、『初』のJ1昇格へと快進撃中だったのです。
「一生 J2」と言われていた弱小ベガルタ仙台でしたが、清水秀彦監督を擁して、長身FWマルコスを獲得したことで一気に強くなり、『初』のJ1昇格へものすごい盛り上がりを見せていました。
サッカー好きの人は理解できると思いますが、地元のチームが『初』のJ1に上がるということは、想像以上のパワーと高揚感が日常的に起きてきます(個人的にも地域的にも)。
私は『ベガルタ仙台』の前身である『ブランメル仙台』のころから応援していましたので、その弱小チームがJ1に上がれるのか・・という「期待感」と「高揚感」をE氏のやりとりで阻害されたくないという思いが非常に強かったことを覚えています。
そんな前向きなムードは、私の再独立への恐怖心を打ち消すのには十二分な後押しでした。
「なんでもうまくいく」・・という『根拠のない自信』が体から溢れてくるのです。
正直言って、E氏のつまらない株の話になんか時間を裂いている暇は無い!ベガルタ仙台のように勢いに乗って前を向いていきたい・・という気持ちの方が勝っていました。
自由に仕事をして、なんとか生計が立てられて、自由にサッカー観戦に行って趣味に時間が使える。本当の意味での独立した気分でした。
「マジですがすがしい」と感じた日々を送っていたのです。
10年ぶりの同級会
話は変わりますが、ちょうどそのとき10年ぶりの同級会がありました。厄年の同級会だったと思います。
久々に友人や恩師とも話をする機会がありました。
その中で恩師との会話で今でも覚えている話があります。
恩師であるO先生はこんな話をしてくれました。
O先生「水面に桶が浮いている。その桶の中にコップがあり、そのコップには水が入っている。欲を出して、『その水は全部俺のだぁ!』と桶を強く引っ張ると、コップは倒れて水は反対側にこぼれてしまう」。
会社を始めた私へ、O先生なりのアドバイスでした。
そして、この話を聞いたとき、桶を引っ張った「人間」がなぜか「E氏」と重なりました。
「良いタイミング」で「良い話」を聞いたと心から感謝しました。
事実は小説よりも奇なり。
お天道様は見ています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?