道端に捨てられたショッピンカートからルールを作ることの難しさを考える。


本来、買い物中に品物を運ぶために使われるショッピングカートですが、無料で誰でも使用できるため、ドイツのような文化が異なる国では(ごめんね)、この制度を利用してショッピングカートを持ち出す人がいます。

当然ショッピングカートはスーパーの所有物であり、私的に持ち出すことは窃盗行為にあたります。車社会のアメリカではよく、車を購入できない貧困移民が家まで買い物を運ぶ手段としてショッピングカートを使用することがあります。

ドイツはアメリカと異なり公共の交通機関が十分に発達していますが、それでもカートを持ち出す人がいます。この問題を防ぐためにカートには鍵が取り付けられ、1ユーロを支払うことで鍵が解除され、使用することができます。使用後はカートを列に戻すことで1ユーロが返却されます。

スーパーは客が多くの品物を購入するためにカートを提供していますが、カート自体は商品ではないため、料金はかかりません。代わりにデポジットが求められます。この仕組みは日本の銭湯のロッカーと同じ原理です。

先日、ショッピングカートに家財を積んで家財処分をしている人を目撃しました。使用後にカートをその場に放置していたので、「このカートどうするつもりですか?」と尋ねたところ、「1ユーロ払ったから大丈夫です」と答えました。

ショッピングカートの持ち出しを防ぐために1ユーロのデポジットが設定されていますが、逆に「1ユーロ支払えば自由にカートを使って良い」という誤ったメッセージを受け取る人もいるようです。

何かを禁止する規則を作成すると、本来の意図とは異なる解釈がされてしまうことがあります。残業を禁止する法律を制定しても、残業が減少しない日本や、資本主義的な搾取を禁止する法律を制定しても、搾取が海外に逃れるだけの欧米諸国が存在します。このようなテーマは政治に限らず、日常生活でもあるのだなと実感。


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