見出し画像

10月の振り返り(5088字)

AZさんのnoteを拝見し、来年の兆しがどこにあったのか探るべく、私も今月の振り返りを。

31日間というのが長いような短いような、不思議な今月、いざ何をしたんだっけ、となると手帳を繰らないと思い出せないわけで、1日(日)のページには、“阪急うめだ   Era of Air”と書いていた。

そうそう、北海道からわざわざお越しくださった、あゆみさんをyujiさん主催のイベント会場へご案内したのである。
私は会期初日にも行ったので、これが2度目の訪問で、あゆみさんと一緒に、展示されている鉱石をたくさん味見させていただく、とても貴重な機会をいただいたのだった。
あゆみさんとは、8月末にスタエフでお喋りして以来、リアルでお会いするのは初めてでありながら、とてもリラックスした時間で、どんなことを喋ったかはほとんど覚えていないけれどw、こうして遠く北の大地からお越しになる方を、アテンドするために、1年前の自分であればなかなか腰が重かったはずで、さらっと上のtweetに反応できたのは我ながら観光をしてきて良かったなぁ、と思う部分である。
(スタエフ、なかなか面白いので、よろしければ下記リンクへと飛んでみられると良きかと!

さて、1日の話が長くなったけれど、続いても観光に纏わる話。
10月6日には、第三回の#前田観光 へご参加くださったyuriさんからご依頼いただき、京都北部への旅をご一緒させていただいた。

これまたtwitterからお声掛けいただいてのことで、ツイート(あ、今はポスト、だったっけ)にあるように、直前まで旅程が出ていない旅にも関わらず、3名のご参加をいただき、リクエストいただいた真名井神社を含め3社のお詣りをし、道の駅で当地の物を食べ、そして更にはyuriさんがチケットを手配してくださって、元離宮二条城でのART KYOTO 2023にまでお伺いした次第。

SUZU ISHIIさん “朱雀”

とてもとても濃密な絵画体験で、私はこの朱雀の前にずっといたい(正直に言えば、自分で所有したい)気持ちでいっぱいであった。
旅は道連れとはよく言ったもので、会期が限られた展示を見つけてご提案いただいたyuriさんも、ご一緒してくださった皆様も、そしてお会いすることはなかった絵を描かれたSUZUさんも居てくださって初めて、この1日は成立していると思うと、感慨深いことこの上ない。

そういえば、その週末は、家族では滅多に行くことのない(というか、子どもがとても小さかった頃以来2回目)遊園地へ行っている。
生駒山上遊園という、昭和感満載の遊園地は、ケーブルカーに乗って上がるのだけれど、その山腹にある宝山寺駅の界隈からしてただならぬ雰囲気(こればっかりは行かないとどうにも伝えようがないw)で、色んな意味でのレジャーが過去には盛んだったのだろうなぁ、と遠い目にもなりながら、上り詰めた先の遊園地もなかなかに興味深いスポットであった。
昔懐かしい遊具で、ひとしきり遊んでもエネルギーが有り余る子ども達は、園内に近年作られたボーネルンド監修の施設で走り回っていて、その設計思想の新しさと周囲とのギャップに私などは眩暈を起こしそうであったけれど、それも含めてなかなかに良き経験。

経験といえば、なぜか家で映画を観たのも10月だった。
マトリックスを観たのは大学1年生以来だったが、今にして見直すと新時代感をよく先取りしたものだと思う。
長々しい感想は下記インスタへ。

10月10日は、Era of Airの最終日。会期中3度目の訪問をしていて、前回に続いてたくさんの石、特にその中でもフローライトという石を、味見させていただいた。
石から発するエネルギーを感得することを、味見と表現するのは的を射ているなぁ、と思うのは、見ているだけでは分からないからで、手に持って初めてその個性の本質が現れる。
もちろん見た目の好みもあって良いのだけれど、それ以上に体感できるのは、圧倒的に手にしたときで、同じフローライトでも産地によって感じ方に違いがあったこと、そしてそれを感じられたことは、私にとって大きな収穫であった。
味見したフローライトのうちの一つは、閉店間際まで選び抜いた上で、自宅に迎え入れ、毎朝触れては日々エネルギー交換(交流、かな)をさせてもらっている。

(以下、11月1日に中旬以降を追記)
10月11日は、京滋(けいじ、と読む。京都滋賀の略)方面へ。
滋賀県で育った者として、近江国一之宮が、瀬田にある建部大社なのは知っていながら、参詣するのはおそらく初めてのことで(もしかしたら幼い頃にはあるのかしらん)、立派な社域をゆっくりお詣りさせていただいた。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と縁が深い神社さんゆえ、参道からして逸話が掲げられている上に、近年描かれたであろう一幅一幅の絵に活躍する武尊がイケメンなのが興味深く、現代の東海道を闊歩していらっしゃる井出武尊さんと、いつかお詣りしたいなぁ、と思った次第。

日本武尊かっこよ

また、お詣りを終えた後は、まつしたゆうりさんが出展されていた草津の近鉄百貨店へ。
キモノとコモノ、というイベントは近鉄草津の玄関口からすぐのところで開催されていて、そのまたし最も玄関寄りのスペースに陣取られた、ゆうりさんの原画やグッズは、強いライティングにも負けず、存在感を放っておりました!
以下の投稿で、ぜひご覧あれ(僭越ながらご本人からご依頼いただき、私が撮影したショットもあります)

また、近場でのお詣りで言うと、13日には茨木の総持寺(そうじじ)、18日には四條畷市の四條畷神社、20日には大阪市平野区の大念佛寺へ、それぞれ参拝している(こう書くと、よくお詣りしているなぁ)。

総持寺
四條畷神社

そう言えば、“宗教とデザイン”という大著を読了したのも10月のことだった。
比叡山の中腹で育ち、10代前半に手塚治虫の“ブッダ”,“火の鳥”,“聖書物語”を読んでいたからなのか、西本願寺の境内のような立地の大学に通い、その在学中に大学コンソーシアム京都で開講されていた、宗教間対話の授業を受けたからなのか、まぁ何にせよ宗教的なエッセンスには触れてきた者として、ここ2000年間に亘る宗教の影響とその功罪、そしてこれから先に向けての変容について、考えることが多いのだけれど、アニミズム的な“原始に戻れ”といったスローガンともまた異なる信仰形態が現れ始めているように感じている(伝統的な宗教や、アニミズムの善し悪しを指摘したいのではなく、単純に時代にそぐわなくなっただけのこと)。

今日の鞄に、大学の哲学科でお世話になった浅沼光樹先生の“ポスト•ヒューマニティーズへの百年 絶滅の場所”を携えている私は、字義通りに絶滅を危惧する者ではなく、むしろここから宗教と科学が統合した先の未来を好感を持って楽しみにしながら、その直感をどのようにして伝え、人々が安心の中で人生を楽しめるようになるのかを模索しているところである。

そうそう、10月の振り返りであった。
ようやっと下旬に差し掛かるw

雨の合間にパッと立てたワンポールタイプのテント
一人で設営できるのはアウトドアで大事
雨上がりにも関わらず川の透明度は高い

毎年この時期と春先に行なっている、三重県でのキャンプは、私の家族と息子の友人家族、それぞれ4人が同じキャンプ場へ集まるだけのことが、もう丸3年続いていて、気を遣わない環境がいかに大事なのかがよく分かる。

マシュマロを買い忘れ、ご相伴に預かる

各々の家庭で用意した食材を、各々のコンロや焚き火で調理し、各々のテントで休むスタイルは、面倒な調整や相談事もなければ、ペースを合わせるようなこともなくって、ただ隣合っているという程度なのだけれど、何か忘れ物があれば貸し借りができ、何か美味しいものがあればシェアすることもでき、また必要があれば協力して事に当たることもできるから、暑さ寒さへの対策さえ怠らなければ、とても快適な時間になって、年に2度の合流が続いている理由なのかな、と思う。

話はうってかわって、私が生まれた場所へ。

日本バプテスト病院が、私の生誕地
病院の脇から延びる道を行くと…
関西の里山によくある風景
白川砂という砂が堆積し分かりにくいけれど、
中央の凹んだ地形には小さな川が流れている。
手描きの道標が秋の日に優しい
大山祇神社が産土神

産土神(うぶすながみ)という言葉に馴染がある方ばかりではないかもしれぬから、念のため説明するならば、要は生まれた土地の守り神、という意味である。
敢えて“神”と名付けなくとも、生まれたその土地の影響を受けない存在はいないわけで、上の方で述べた鉱石を引き合いに出すなら、その由来を辿ると地質学的に一定の性向が導かれることと同じく、私自身も白川という清らかな流れが洗ってきた土地の由来を受け、私は38年前に生まれたのだから、その土地へ参ることは、つまり自分の起源へと(意識的にか無意識的にかは問わず)戻ることに、他ならない。

瓜生山(うりゅうやま/うりゅうざん)の由来
京都盆地の端にあって、古来から人が棲んでいたとか

史蹟についての立て札には、平安京などよりも以前からこの一帯には人々が棲んでいたと書かれていて、清き流れの恵みを受けて、いかにも棲み良い土地であったのかもしれない。

そして、この白川の源流を辿った先(あるいは上)の方に、私の実家はあって、比叡山を平らかにならした土地だから比叡平という。
その実家を活用して開かれた場として、地域はもちろんのこと遠方からも人々に来ていただける場にしたいなぁ、という前々から脳内にあった構想を、ついに具現化したい、という話を10月の振り返りも佳境に入ったここででしておきたい。
きっかけは26日のことで、医師でもあり起業家でもあり暇人でもある(褒め言葉ね)友人とともに、実家へと足を運んだのだった。
彼は日頃から、コワーキングスペースと呼ばれるような場所を利用しているから、かねがね意見を聴きたいと思っていたところ、この日になった次第。
結果から言うと、余計なもの/ことにコストをかけない彼の意見は、とても的を射ている上に現実的であって、無用なリスクを取ることなく小さく、地味に、あるいは恥じることなくそのままに、始めてみれば良いというもので、つまり先行投資などせずに、コワーキングスペースに必要十分な要素を因数分解したならば、建屋は現状のままであっても問題ないだろう、という判断に至った。
もちろん、両親(と猫)が住んでいるので、転居先とそのコストを考える必要はあるけれど、それはそう遠くない将来にはいずれにせよ考えなければならない話題なわけで(山の上は、運転できる間は良いけれど、そうでなくなった途端に大変なので)、両親ともに健在で居てくれる今こそ、設計し出すべきタイミングだろうとも思っている。
私が生まれた北白川や、2歳までを過ごした一条寺の界隈は、親にとっても馴染みがある上、山からもすぐだから、いろいろなご縁などから鑑みても、両親の住まいとして悪くないわけで、今週末に同じ左京の地で食事をする際には、ゆっくりと、しかし悠長に、ではなく相談をして来よう。

と、4500字を超えて振り返ると盛り沢山だった10月の下旬は、実は体調面ではとてもしんどい時期でもあった。
特に上述の26日は、友人の経営についての話なども聞かせてもらって、目から鱗というか、コペルニクス的転回というか、リスクとリターンの捉え方が大きく変わったこともあり、頭脳がフル回転した結果、夜には酷い頭痛に見舞われることになって、3月末以来にしんどい夜を過ごした、というオチがつく。
有り難いことに、翌27日にミチルカさん御用達の周波数調整装置にて、頭痛がすっかり治ったこともあり、今はだいぶん回復したのだけれど、こうして振り返るとそれはそれは色んな経験をし、思いを巡らせたのやなぁ、と思う。

一つ一つの経験が、また次の一手あるいは一歩になるとしたら、これはなかなかに面白い11月、そして年末年始になるのだろう。
“どんな未来がこちらを覗いてるだろう”とは、あいみょんの名曲“ハルノヒ”にある一節で、個人的にとても想い出深い曲なのだけれど、晴れの日が続く秋の間に、そしてこのnoteの締め括りに、とても似合うようにも思ったので、引用し筆を置こうと思う。
長い長い文章を通読する方がいるかどうかは分からないが、もしいらっしゃったら、ぜひどこかで話のタネにしてお喋りできると、この上なく嬉しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?