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適応障害らしい

「適応障害によるうつ障害」と診断されました。
 
確かに、仕事へのやる気が一気にゼロになった感覚はあった。アキレス腱が切れる瞬間は、バットで殴られたような「バチン」という音が聞こえるらしいが、その時の私の心のアキレス腱は、完全に断裂していたんだと思う。知らんけど。

正直、適応障害とかうつ障害とか、ならないと思っていた。気持ちでどうにかなると思っていた。布団から出れないなんて、あり得ないと思っていた。でもあの日は確実に、布団から出れなかった。
 
先輩に勧められて近所の心療内科に行った。
初めての心療内科なので、身構えて病院に入ったが、見た目は至って普通の患者ばかりだった。道ですれ違っても違和感なく見える人が、絶対に誰も共感し得ない重い苦しみを抱えて、それでも何とか生きようと、この心療内科にきていると思うと、「やっぱりみんなそうなんだな」と少し安心した。
そして昔、ある俳優が「人間は、怒っているけど涙が出て、そんな自分に笑ってしまえるような、混沌とした感情を抱えながら、真顔で生きている」と言っていたのを思い出した。生きていると、本当に訳がわかならいことがたくさんある。
 
抗うつ剤と睡眠導入剤をもらって、会社に診断書を提出し、休養に入った。休養といっても、捉え方によっては「逃げ」になることはわかっている。全てを投げ出して、ただ生き続けることに専念した。休養に入って最初の一週間くらいはキャリアのことを考えたが、別にやりたいこともないと思ってしまったし、考えれば考えるほど本心から遠ざかっているような気がしたので、考えるのを辞めた。

正直、死んだら楽になるんだろうなと思っていたけど、その希望は両親からの電話であっけなく散った。私がどれだけ死にたかろうと、母親が命を懸けて産んだ命であると認識したからだ。だからなんだと言われたらそれまでだが、私は父母の声を聞いて、単純に、生きなきゃダメなんだと思った。でも実際、生きていて楽しいと感じた瞬間は、飲食している瞬間だけだった。アリストテレス大先生に言わせると、この楽しさは幸福ではなく快楽だと指摘されることはわかっている。でもそんなことはどうでもいい。「どんなに人に裏切られても、すき家の牛丼の味は絶対に裏切らない」と、全力マンチャンネル先輩が言っていたが、それは今でもめちゃくちゃ的を得ていると思っています。
 
とりあえず人に会いたくなかった。自分のことを誰も見ないで欲しかった。夜中12時から外に出て、お酒を飲みながら、誰もいない夜道をひたすら散歩した。別に午前10時に活動していないからと言って、今までみたいに坊主にする必要もなければ、当番をやるわけでもなく、はたまた逮捕されるわけでもない。24時間、本当に自由に過ごした。
 
オードリーの若林は、「ネガティブの対義語は、ポジティブではなく、没頭である」と言った。そして、自分という車のボンネットの中を探って趣味を探すのではなく、エンジンを起動して車を走らせ、外に見えるものから趣味を探すことで、ネガティブな感情を忘れることができるらしいことは、前々から知っていた。つまり、エンジンを起動さえすれば、うつ症状も治ると頭では理解していた。でも一向に外に出る気にならなかったし、基本人に会いたくないというマインドなので、ほとんど外出は避けていた。
 
一方でめちゃくちゃ暇だった。日中は、寝るかYouTube、Netflixを見る。夜は散歩するか、近くの24時間営業の温泉に行ってお湯に浸かるくらいしかやることがなかった。金がないからだ。今こうやって文章を書けているということは、適応障害はほとんど治りつつあると認識しているが(最初は文字すら読みたくなかった)、治癒における大きなきっかけは、「結局暇になった」ことだったと思う。
 
電話してくれた地元の友達が、ツーリングにはまっていると聞いたので、なんとなく新しい自転車を買ったのが、本当に良かったと思う。行動範囲が広がったことと、自転車に乗っているのがただ気持ちいいという理由で外出の機会が増え、外のものに関心がでてきた。
 
・近所のバーの店員も適応障害になったことがあり、偶然同じクリニックの同じ先生に診てもらっていたこと
・深夜両国国技館の裏の路地では、時々男女カップルによるチョメチョメが実施されていること
・豊洲大橋から見えるレインボーブリッジは圧倒的だが、真下を流れる水はめちゃくちゃ汚いこと
・有明の高層マンション1階のデイリーヤマザキに「子供は喜ぶと思いますけど何か?」と強気で言わんばかりの駄菓子たちが陳列されていること(田舎出身なので、駄菓子屋に歩いて向かう道中に、近所のおばちゃんと会話できることが、駄菓子屋のある意味存在意義のような気がしているのでこのような気持ちになりました)
・夜勤のコンビニ店員はウズベキスタン出身で、毎週日曜にレジ番をしながら家族とFaceTimeをしていること
・自分のことを意外にも気にかけてくれる友達、先輩、後輩がたくさんいたこと
など、外の世界には意味わからないけど面白くて、ありがたいことがたくさんあった。それに対して心の中でツッコミを入れたり、笑ったりしているうちに、僕の心のアキレス腱は、徐々に繋がってきたんだと思う。
 
前提として、私は東京を否定したいわけではない。
地元にいた時に「東京は人ごみで大変だぞ」とか「結局田舎の方がいいんだから早く帰ってこい」みたいな、東京は悪い場所だと言わんばかりのことを、たくさん言われた。確かに高層ビルが立ち並び、東北6県より多い人数が暮らしている東京は、一人一人の「他人感」が強い。でも、東京に住むことは法律を犯していないし、東京に住む人だって頑張っている。居酒屋で出会った人たちにも、両国国技館裏に潜む交尾カップルにも、豊洲大橋の下を流れる汚い水にも、必ず背景があって、それが人生になるんだと思うし、それぞれの人生へのリスペクトの気持ちを忘れてはいけない。
 
気づけば私は、天才になりたいともがいていたんだと思う。それは、マーベリックのように男気があって、オードリー春日のようなセンスを持ち、かつ、あいみょんのような美しい泥臭さを兼ね備えた、スティーブ・ジョブズの頭脳を持つ、新田真剣佑顔スーパー男である。でも、この休養をきっかけに、自分に関しては、そうなれないのかもしれないと思った。それは決してネガティブな意味ではなく、割り切った方が、ユニークであり健康なんじゃないか、という話である。社会には「適材適所」という言葉がある一方で、過去に「諦めるな」と励まされ元気が出たこともある。結局何が正しい判断なのかはわからない。でも、偉人という高みを目指す上で、余裕がないときはマウントを取り続け、ビジネスの付き合いがあり、勝ち組が残っていくというサバイバルゲームに、私はアレルギー反応が出ているのではないかと感じた。
 
決して勘違いしてほしくないのは、私はこのような人たちを否定している訳ではない。なぜなら、上記のような資本主義的な構造が、日本を発展させて来たと思うからだ。まだキューバが完全な社会主義国家だった頃は、飲み物は3種類くらいしかなかったと聞いたことがある。日本のコンビニに陳列される飲み物の多さこそ、競争社会の賜物であり、それを当たり前のように享受させて頂いていることに感謝しなければならないと思っています。
 
別にこの文章を通して言いたいことはありません。豊洲ぐるり公園で日焼けしながら、村上春樹の本を読んでいた時、思ったことを書きました。唯一言いたいことがあるとすれば、しなの梛惠が歌う「駄目なあなたのまま」という曲はめちゃくちゃいいです。どのくらいいいかと言うと、飲み会帰りのミッドナイト牛丼くらい、心に響きます。

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