体育会陸上競技部を引退した、大学生の決意。

初めまして。
いつか路頭に迷った時、心が折れそうになった時、今の気持ちを思い出すためにnoteに書き記すことにしました。そしてこの決意表明が、誰かの心の刺激になってくれることを願っています。

私は小学校4年生から陸上競技を初め、2020年の10月末に引退しました。大学では早稲田大学競走部に所属し、トップレベルの選手が集う最高の環境で競技を続けることができました。そして約2ヶ月前から、1人の大学生として人生を歩んでいます。

引退した直後、まず私は「これから何をしていいのかわからない」現実にぶつかりました。今までの人生の目標であり、パートナーでもあった陸上競技が消えたという事実は、予想以上に私を困惑させました。そしてこれから、何を目標に、どうやって生きていけばよいのか、わからなくなりました。そして「早寝早起き」や「1日3食の食事」など、当たり前に行なっていたすべての日常的な行動の意味を見いだせなくなりました。しまいには体調を崩し、2日ほど寝込んでしまいました。とても高く大きな壁が私の周りを囲んでいて、どこにも光が当たらないような、暗い気持ちに襲われていました。

壁が立ちはだかっていることも知りながら、その壁も乗り越えようともせず、約1ヶ月が経過しました。卒論や勉強など、やるべきことに取り組んでいた一方で、情熱に心を動かされていないような、行動に体重が乗っていないのような、そんな毎日を送っていました。そしていつものように、吉野家の牛丼を食べに行こうと街を歩いていた時、一通のラインが届きました。それは、高校まで同じ種目である100mで競い合っていた、他校のライバルからでした。内容は、彼が教育実習で母校に行った際、道徳の授業で僕とのエピソードについて発表をしたというものでした。それが以下の写真です。

私は中学校の時、上前腸骨棘の骨折をし、3週間の入院を強いられました。当時は「全日本中学校陸上競技大会(以下、全中)の決勝に残る」という目標があり、授業などただ座っているだけで、陸上のことしか考えていないような毎日を送っていました。医者から骨折を告げられた直後は、本当に悔しくて、レントゲン室の前で母と2人で泣きました。目標が消えた悲しみと「競技ができないかもしれない」という不安を抱えながら過ごした3週間は、当時の私にとって本当に苦しかった出来事でした。
そんな時、彼から一通の手紙をもらいました。それは、同じ競技で競い合っているライバルでありながら、私を励ましてくれる内容のものでした。私が怪我をしたことは、彼にとって競争相手が減ることであり、彼が喜ぶことは当然だと思っていました。しかし彼は、そんな私を励ましてくれました。その手紙には「お前の努力は無駄なんかじゃない。全中では俺がお前の分まで走り、優勝する。」と書かれていました。本当に嬉しくて、心が熱くなったのを覚えています。自分も復活してまた走りたいという強い気持ちが芽生え、必死にリハビリを続けました。そして私はまたグラウンドに立つことができました。

このエピソードを彼が教師という立場になって、授業として生徒に発表してくれました。その授業で、感動したと言っていた生徒がたくさんいたとのことでした。生徒が書いた授業の感想を読んで、吉野家の牛丼を食べながら、思わず涙がこぼれました。自分が目標に向かって必死に努力した経験が、誰かの心を動かしたということを知り、言葉にできないような、温かい気持ちになりました。それと同時に、ふつふつと当時の情熱を思い出しました。気を配らなければ、何もかも見えなくなってしまうような情熱的なことがしたい。そう決意した瞬間でした。

私は来春から、社会人となります。今の自分を作ってくれた地方を守るため、抽象的でふんわりとしている大きな課題を解決するために、何が必要かを考え模索する日々は、今の自分では何もできないという絶望を自覚するところから始まり、嫌な気持ちになることの方が多いです。ですが、小学生の心を動かしたあの日のように、いつか自分の努力が誰かの感動を生み出すことを夢見て、日々行動し続けたいと思います。

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