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吉良上野介に会いたい

みなさま、こんにちは。物事を「引用・気づき・行動」にてアウトプットするアウトプットリーダーきらけんです。私は会社員(IT営業マン)として働きながら、日々、学びに時間を費やしています。

本日の学びは、『吉良上野介に会いたい』です。

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名字が「吉良」の方は全国に、およそ10,600人いるそうだ。
割と珍しいこの名字に興味を持ち調べてみたことがある。

吉良姓の元は、いまの愛知県東部である三河国幡豆郡吉良庄が起源(ルーツ)である、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)足利氏流がある。
吉良氏は三河吉良氏と土佐吉良氏に分かれ、土佐吉良氏は戦国期には廃絶したとされるが、末裔が残っているという。

私の吉良姓はどこから来たのだろうか。
私の祖父は愛媛県宇和島市で漁師をしていたそうだ。調べると海を挟んで向かいの大分県にも吉良姓が多いようだ。そして、起源である愛知県東部には、地名として「吉良」が存在する。吉良吉田駅があり、吉良中学校があり、吉良町郵便局があるのだ。

この姓の聖地には、吉良姓ナンバーワンの有名人がいる。吉良上野介義央(きらこうづけのすけよしひさ)。「忠臣蔵」の敵役で有名だ。
歴史上の解釈はともかく、私は吉良姓に名を受けた以上は、吉良上野介に会いたくなった。

大阪から近鉄特急で名古屋まで2時間、名古屋から名鉄電車にて西尾市まで1時間。西尾市に着くと、電動自転車をレンタルして借りて、吉良町へ向かう。1時間近くかかる。車の交通量がだんだんと減ってくる。大きな川が流れている。都会のビル群とは異なる風景の良さを感じる。

交通案内に吉良町の文字が出てくると嬉しくなる。いよいよ会えるのだ。
華蔵寺(けぞうじ)に、吉良上野介の木像が祀られている。私は、おそるおそる。華蔵寺に足を踏み入れる。本堂にお参りをして、木像のある部屋を探す。ところが、ぐるぐると探してみるがどうも見当たらない。あれっと思い、住職さんに聞いてみる。

「義央公の木像は老朽化を防ぐため、現在は12月14日の法要の時にしか開帳していないんです」

なんと!
大阪から吉良町まで4時間以上かけて来たのに、会えないのか。
そこにいるのに、会えない。なんとももどかしい。
もやもやとした感情のまま華蔵寺を写真に納めたものの、落胆の気持ちでいっぱいだった。
会いたかった。会いたかった。会いたかった。
吉良町まで来て会えないなんて残念すぎる。
私は落胆して、吉良町を後にした。

しかし、ひょんなことからチャンスはやってくる。
この夏、東京出張の際に、東京の友人と食事をしていると、友人からこんな話を聞いたのだ。

「俺の職場の近くに、吉良上野介がいるけど知っている?」

なに? 吉良上野介は吉良町の華蔵寺で眠っているのではないか? 
私は、半信半疑で翌朝、友人が教えてくれた場所に向かった。

最寄り駅は、両国駅。両国国技館のある相撲の街である。実際に降り立ち、目的に向かっていると、力士を見かけた。
駅から5分程度歩いた場所が目的地だ。
本所松坂町公園。東京都墨田区両国にある公園だ。この場所で隠居した吉良上野介が暮らしていたのだ。そして、1703年1月30日、赤穂浪士による討ち入りの現場でもある。

外壁は屋敷門が復元されていて、タイムスリップしたような感覚になる。
いざ、敷地内に入ってみる。
すると、そこには、あの吉良上野介の像がある。
こちらは華蔵寺の木像を基に、2010年に建立されたそうだ。

吉良上野介の顔は、穏やかだった。300年以上も前の出来事を、悪人として物語で言われ続けてきているが、その表情は穏やかさを感じる表情をしていた。

「吉良上野介さん、やっと会えましたね。吉良健一です。末永く見守りください」

吉良姓を持つものとして、近かれ遠かれ繋がっているのだと感じ、今こうして像があることを誇りに思った。

掃除をされていた管理者の方と話ができた。
私が吉良姓であることを伝えると驚かれ、吉良にまつわる話をしていただいた。足利氏が先祖にあたり、上杉謙信、徳川家康とも家系で繋がりがある。
そして近年、吉良上野介は見直しがされているそうだ。「忠臣蔵」で必要以上に悪役として描かれてしまったが、地元旧吉良町では「吉良さん」として、領民に慕われていたそうだ。黄金堤(こがねづつみ)と呼ばれる、堤防を私財を投じて築いたとされている。堤防を築く際には、赤馬に乗って作業を視察し、領民と交流をしたそうだ。「吉良の赤馬」という郷土玩具は、このような話がもとになっているそうだ。

考えてみると、人には様々な側面がある。善い人として見える行為、悪い人として見える行為。どの側面からその人を見るかで印象は大きく変わってしまう。
江戸城松之大廊下で浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、斬りかかった時の吉良上野介はどれだけ悪い人として見えていたのだろうか。それは、その時代、その場所にいないのでなんとも分からない。
現代に同じ姓を持つ者として、人には様々な側面があるのだから、深く考えずに人を決めつけるようなことはしないと、吉良上野介の顔を見て誓った。

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本日の学びは、『吉良上野介に会いたい』でした。

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