母82歳の誕生日に想う。

正確には本日6月6日なのですが、母の82歳の誕生日を昨日お祝い出来ました。
母が特別不健康な事もなく元気でいられる事に感謝しつつ、自分はもっと親孝行出来るよう頑張らねばと想う。

母とミュージシャンとしての息子(自分)の歴史は、実は結構長い。

母は僕がバンドを始めた頃からのファンで(笑)いつも応援してくれて、、プロとしてステージに立てた時もとても喜んでくれました。

ライブハウスからホール、アリーナ、ドーム、都内近郊殆どのライブに足を運んでくれたのでは。
色々なシンガーの後ろでギターを弾く僕の姿を嬉しそうに見てくれました。

主要な音楽番組の録画ビデオもたぶん全部あるはず。

それらも今思えば結果的には親孝行だったのかもしれない…。

母からは今でもステージには立って欲しい、派手(風な)世界で活躍する息子が見たいみたいな印象は受けるんだけど、

今は色々とシフトしている最中なんだよな...。ライブが嫌いなわけじゃないんだけど。それでも最近は何となく理解してくれているようでもある。

ライブツアーに明け暮れる日々は、もちろん刺激的で毎回色んな感動もあり、それはそれでやりがいのある事。

様々な現場でシンガーやプロデューサーのリクエストに応えながらも、どこかでギターキッズ魂は保ちつつ(笑)。その作業はとてもエキサイティングでやりがいもある事。それはスタジオでのレコーディングでも同じ事が言える。良いものを作り上げる醍醐味。その一端に関われる幸せ。

いや、楽しい事ばかりではないよもちろん。大好きなギターが嫌いになりそうになる事だってあるし。

自分の才能の無さに落ち込む時だってある。

で、2009年位から自分の中で何かが変わり始めて。2011年の3月11日東日本大震災以降はそれに拍車をかけたような、、、。

変化する事。

時代が変わればレコーディングや音楽制作の手法も変わって来た。テクノロジーの進化で今までは1日かかった工程が数時間で済んだり、手間ひまかける時間が短縮されたり。人がやっていた作業がパソコンによって半自動的に出来るようになったり…。

それに意見するわけでない。

僕はどちらかと言うと、「便利なら使ってやればいいじゃん」と思う方なので、アナログじゃなきゃ!1発録音が最高!打ち込みはダメ!というステレオタイプな思考はどちらかと言うと好まない。適材適所、良し悪しは必ずあるので。

マシン扱うのは元々嫌いじゃないし、むしろ幾つかの工程を選択出来る自由は増したわけで。それをどう扱うかの方が大事な事でしょ。
新しい手法でしか実現出来ない事もある。もちろん新しい事が全て素晴らしいなんて考えではないけど。

何か心に響くものを目指し、創作して、その完成を目指す時に大切なのはまず結果で、その過程が大変だろうが楽だろうが進んで人に話す事では無いと思う。

そういう過程については、今書いてる「週間宅録ギター」のコンテンツにも深く関わるんだけど、そこは芸術と言うより技術とか手法の話。

で、なんだか話が逸れてきたけど

ザックリ書くと、音楽制作やライブにおける様々な過程で、自分の音楽観や美学とかけ離れている事に対応して行く事は人として、音楽家として正しいのか?と自問する事が増えてきて…。

それはテクノロジーに対する意識ではなく、それを扱う側の事に対して。うーん根深く多様過ぎる。

歳のせいか無理に順応しようと頑張ると、体調崩したりするようにもなり。まー人間関係とかもありますけど、、。

心身一体と言いますし、気分的にも。

あ、いい音楽作るのに、広い意味で「気分がいい」という事は大事な要素だと思ってます。

そういうのって職業音楽家としてはどうなの?とも言えるんだけど(笑)

元々が器用なタイプでなく、色々とスマートにこなす事は不得意なんだよね。方向音痴だし(笑)結構ドジだし(笑)

じゃ、なんでやってんだよ?って自分で突っ込めば、アマチュアの頃からギタリストになる事しか考えられなかったし、他に大した事出来ないので。となるんだよね。

うーん、これはまた長くなりそう。

何はともあれ母の健康を祈りつつ、自分も音楽家の端くれとして、何かを残す事に頑張りたいと思う今日この頃なのです。

あ、ひとつ。

僕にとってギターを弾いたり、音楽を作る事に没頭してる時は何にも変えられない至福の時間でもあるんだけど、場合によってはそれが逆に自分を痛めつける事にもなり得るっていう、表裏一体的な。


いやー何とも。




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