帰省、最期を見つめる

年末年始は例年旅行に行くのですが、今年はキャンセル。
GoToキャンペーン中止もありますが、実父の体調不良のため。

無人の実家に帰り掃除片付け、宣告された最期の時間の一時退院を家族で過ごすことに。

コロナの影響で1年ぶりになりましたが、その間あちこち体調を崩しあっという間に要介護。進行が早い病気のようで、この期間の衰え方は想像以上でした。


世間で言われる実家の片付けと介護の苦労を突然同時に味わうことになり、
これは心底、本当に大変だと言うことを実感。
最後はクタクタになって帰ってきました。


あまり仲の良くない家族ですが、弱りきった父親を見ても距離感は変わらず。どうしてこういう物言いをしてしまうのか。。。

自分で出来ることは殆どなくなっても、看護師他、周りに罵声を浴びせてばかり。人の言うことには耳を貸さず、私の言うことも当然例外ではありません。

でも、この根幹にあるのはそもそも「男尊女卑」の考え方や「年功序列」の精神があり、「マスメディア信仰」もあると思います。

それが大半の団塊の世代に共通することだったとしたら、
病院で働く医療者の精神的負担はどれだけなんだろう。


だからといって、今からこの考え方、行動変容を起こすことは容易ではない。若いうちから医療に関する知識、リテラシーが少しでも備わっていれば少しは違っただろうなぁ。

自分が少しでも伝えていればよかったのだろうけど。
そして伝えるつもりで帰ったのですが。

それが出来なかった

その原因は


私がもうダメだと思ってしまっているのに、本人はまだ可能性を口にしていたこと


が一番だったと思います。


ステージ4の肺がん。食事も取れない。医者からも宣言付き。

こちらとして(病院側も含め)は「どういう最期を迎えたいの?」ということが一番の関心だったのですが、、、

まだ最期を考えてない。それどころか戻ることを考えてる。


このタイミングで終活のすすめは難しい。。。


本人は治りたいし、死を恐れている。


母親も急死しているし、体調管理もしないし、病院も大嫌い、、、というか「いつ何が起きても」と自分でも言ってたけど。
それでも医療で治る可能性を信じているのか。口にしていただけなのか。


だけど、自分が最期を迎えるときもわからないと思った。
なるべく早く、パートナーやその両親にもエンディングノートを作るぐらいしよう。
今は「食べられなくなったら終わり」と思ってるし、「60過ぎたら何が起きてもおかしくない」と思ってる。


でも

最期の直前になったら、考えが変わるかもしれない。

その時にはもう質問できないかもしれない。


当たり前のことかもしれませんが、身を持って感じたことでした。

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