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エッセイ-2. 宗教2世のサンクコストの呪縛

今回は宗教2世が抱えるサンクコストの呪縛について考えたいと思います。

サンクコスト効果って何かご存じですか?
例え話ですが、あなたは2000円弱のお金を支払って映画を見に行ったとします。初めの数十分であまりのつまらなさにもう帰ろうかと思いますが、せっかくお金を払ったのだからと2時間の映画を全部見続けました。結局最後までつまらなくて何も得るものはありませんでした。

ここの 2000円弱のお金=サンクコスト で、
せっかくお金払ったのだから得るものがなくても2時間かけて見る
=サンクコスト効果
です。回収不可能なコスト(お金)を心残りに感じより多くのコスト(時間)をかけてしまうのことを言います。

本来であれば数十分みてつまらなかったのであればそこで引き返して、ほかのことに時間を使った方が有意義でしょう。けれどお金を払ったというコストがその判断を鈍らせるわけですね。もし無料で見た映画であればすんなり引き返したことでしょう。

エホバの証人の宗教2世にサンクコスト効果を当てはめてみましょう。途中で教義についておかしいと思ったとして、離れようと考えた時、今までの支払ったコストがどんなものか考えるとどうでしょう。
それは絶望したくなるほどのコストです。人生を費やしているからですね、教義に縛られることで学生時代に楽しめたであろういくつもの青春、得られたであろう勉強の機会、就けたかもしれない就職の選択、築けたであろう世間の人との交友関係、今まで築いてきた家族関係というような様々なコストを支払って組織(ものみの塔協会)に献身してきたわけですから、組織から抜け出そうと考えた時、その膨大なコストが脳裏に出てきてエホバの証人をやめるかどうかの判断を鈍らせるわけです。精神に異常をきたす場合もあるでしょう。

映画だったら2時間でサンクコスト効果は終わります。
しかし宗教ともなれば人生そのもので死ぬまで続きます。

組織から抜けられた方はおそらく過去における、もし違う家庭で生まれていたのならという「たられば」を抱えながらずっと生きていくことになると思います(自分がそう)。

私自身まだ聖書を信じているところがあるので、エホバの証人として勉強してきたことがすべて無駄になったとは考えていないですが、(強がりかな?)脱出を機に無宗教になられた人や全く違う宗教に移った人達と同様にサンクコストの呪縛はかなりありました。

宗教に限らずサンクコスト効果は様々なところでありますが、もしあなたが宗教2世の方で脱出されたのであればサンクコストの呪縛からどのように抜け出すことができましたか?

私の感想ですがその宗教での経験を全て無駄であったと、意味がなかったと思わないことが大事かなと考えています。もちろん辛い経験をしたことが良かったというわけではありません。辛い経験なんてない方がいいです。しかしその経験は授業料だと思ってこれからの人生の選択に活かすことに使う方が有意義だと考えてます。だからこそその経験に少しは意味があったんだと思える(許せる)状態が精神的に健康かなと思う。

私の親であったり長年信者として生きている人にとってはもし教義についておかしいと思ったとしても組織の中にいた方が本人にとっては幸せなのかなと考えることもありますが正直複雑。。。
まあともあれ何を信仰するかは本人の自由なので本人がエホバの証人として人生を全うしたいのであればそれを尊重すべきかなと考えますが2世の子供は別。不幸な子供を増やさないためにも2世にも信仰の自由を確保してあげたいものです。

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