南国でカフェ創り その5(返済編)

税金2千数百万、延滞税年利14%。
延滞税だけで年間280万程度かかる。
普通の所得だと金利の支払いだけで終了・・・

元手の無い状態で始められて、
短期で稼げる可能性のあるビジネスをしなければ・・・。。

その間の生活費は、
知人の建設業や、バーのイベントを手伝ったりして
日銭でしのいだ。
考えろ考えろ考えろ・・・・

以前、グループ旅行で飛行機の隣の席に座った友人が

フライト中ずっと、PCで作業してたのを思い出した。

「それ何やってるの?」
「アフィリエイトの学校作るから、資料作ってる」
「アフィリってどんな仕組みなの?」
「サイト作って、自分のリンクから誰かが購入したら報酬が貰えるんだよ」
「えっ?それスゴくない?初期費用ほぼ無し、収益率高い。怪しいイメージだけど、ビジネスモデルとしてかなり優秀だね!」
「そうだよ、みんなが気付かないから稼げるんだけど。」

こんなやりとりを、アフィリエイターとしたのを思い出してた。
当時は自分も稼いでるし、興味もなかった。

これなら今の自分でもできるかもしれない・・・・

幸いクレジットカード会社に破産してるのはバレてなかった。
差し押さえの連絡はカード会社にはいかないから。

そこからはひたすら自転車操業。
カードで支払えば数ヶ月後まで決済されない。
その間に報酬がもらえれば、元手が無くても回転させられる。
複数のカードの決済日を確認しながら、
少しでも決済が遅れるように工夫しながら使った。

国税には、半年後から毎月100万円支払うから、
それまで差し押さえしてくれるな。
このビジネスを膨らまして、必ず払うから、と約束した。

逆に、
途中で差し押さえられて潰されたら、もう払えないです、とも。笑

アフィリエイトビジネスは銀行口座とカードを使って運営し、
生活費は友人に紹介してもらったキャバクラの送迎をした。
日中はアフィリの作業をして、夜中はキャバクラの送迎の毎日。

キャバクラの送迎は支払いが手渡しだから、本当に助かった。
毎月15万程度、食べて暮すには充分だし、何より差し押さえられない!!


送迎は自家用車だけど、ヤフオクで見つけた10年落ちの車を5万円で買った。
岡山まで夜行バスで行って、福岡まで運転して帰った。

少し前までは、付き合いでキャバクラに行けばチヤホヤされてたし
ぼくはなるべくスマートに振舞おうとカッコつけていた。

それが転落し、年下のキャバ嬢達に頭を下げながら
「お疲れ様でした~!」みたいな立場に。笑
変な気分だ。
ただただ、税金を完済することに集中した。
「これはゲームだ、どうやってクリアしよう?」って。

そんな生活を半年ほど続けてたら、
ジワジワとアフィリエイトの結果も出だして、
月100万円払える状態になっていった。
ひたすら、上手くいくことは磨いて、ダメなことは辞めるの繰り返し。

月100万なら25ヶ月で2500万・・・
でも途中で大変なことに気付いた。

なんと、、、
返済の為にあげた収益にも課税されてしまう。。。。。
1年で1000万払っても、その税金はさらに上乗せに。
これじゃあ2500万のために4000万くらい稼がないといけなくなる。泣

1年は毎月100万を払い続けた。
その間にいろいろ税金について調べた。
彼らはルールに基づいて、僕に課税してるし、
徴収もルールに基づいてる。
ただルールに従ってるだけだ。

それならぼくがルールに基づいて抜け道を探せば、
彼らはルールに基づいて許容するだろう。

ここらからはあまり詳しく書かない。笑

2年目、返済の実績も作ったし、ビジネスモデルの説明もしてる。
何より、国税もまさか払ってもらえると思ってなかったようで
一応督促はしてくるけど、満足してるみたいだった。

ぼくは日本の仕組みに少し疲れてた。
税金の延滞があるからといって
「日本から出てはいけない」という法律は無い。

かなり無茶な質問だとはわかっていても、
とりあえず担当官に電話して聞いてみた。

「もう日本に住む理由が無いし、仕事はインターネットでできます。納税管理人をつけますから、フィリピンに移住していいですか?」

担当官はびっくりしてたけど、平静を装ってる感じが電話越しに伝わってきた。笑
「い、いま返事はできないけど、上司に確認して後日連絡します」

その後、納税管理人の書類をしっかり提出すればOKだと返事をもらい、
善は急げで翌月に出国。
全財産はトランク2つとフィリピンには売ってない座椅子。

画像1



窓口のお姉さんは、サーフボードだと思ってたのが座椅子だったから爆笑してた。
「いや、フィリピンは座椅子売って無いんですよ~ハハハ」

出国の2日前にも大きな出来事があった。
大阪にいた80歳のおばあちゃんが既得状態に。。
母親から連絡を受けたけど、僕はまだ身辺整理をギリギリまで
しているところだった。

ここで急遽大阪へ行ったら、出国はできないし、もう家の契約も無い。
チケットも買いなおさないといけないだろう。
お金もそんなに余裕は無い。

迷った末に僕は、
既得状態のおばあちゃんのとこへ行かなかった。
薄情なやつだ、という自責もあったけど
自分の中ではこんな気持ちもあった。

死ぬ、ということを自然なことだと受け入れてる。
おばあちゃんは自分の一部でもあるし、
自分は分身ともいえる。
それは人間の自然なサイクルだと。

なんてタイミングだ・・と思ったし
行けない自分の情けなさも悔しかったけど。

両親にはフィリピンに引越すことも黙っていた。
事情の説明をしたくなかったし、
何を言われても、もうやるしかない状況だったから。
そんなこともあって、夜逃げのように出国していった。


フィリピンに移住後の生活もなかなかのどん底。
シャングリラで一泊5万で泊まって余裕ぶっこいた生活してたのが、
温水なしの水シャワー、バケツに温めた水をいれて、
手桶で大事に温水を使って髪と体を洗う。

なんせバケツ1杯しか温水が無いから、髪を洗った水がまたバケツに戻るように再利用して使う。
トイレは手桶で水を流しながら直接手で・・・

そんな生活を1年続けて、支払いも完済。
やっと稼ぎが自分の手元に残るようになってきた。
でも油断はできない。
アフィリエイトはWEBビジネスで変動がめちゃくちゃ早い。
明日には収入が無くなってるかもしれない。

そんな感じで生活しながら、次のことを考え出していた。
「次は何を目標にして、どんな生活がしたいだろうか?」



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