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格子状の同盟関係は「アジア版NATO」ではない

アジアの安全保障を考える上で、従来の二国間の同盟関係が互いに連携を深める構図が進展している。日米韓・日米比・日米豪のそれぞれの安全保障協力が深まっていると同時に、日米豪印クアッド協力や、米英豪AUKUSといった新たな枠組みも関係性を強化している。こうした延長線上に「アジア版NATO」の形成が試みられている、という解釈を耳にすることがある。

第二次大戦後のアジアの安全保障を基本的に構成したのは米国と同盟国との二国間の同盟・パートナーシップ関係で、これを米国を要とするハブ・スポークス関係と形容されてきた。「欧州における北大西洋条約機構(NATO)のような枠組みが何故アジアにはないのか」という問いは、安全保障論を受講する学生へのレポート課題としては格好の題材である。

この問いへの答えは、国際関係論の学派や歴史解釈によって幅はあれど、おおよそ以下のように形容できる。欧州とアジアでは戦略環境が根本的に異なり、地続きの欧州における陸の戦域と、広域アジアの海の戦域の差は大きい。陸上戦闘が欧州全体の問題に転嫁する共同体としての欧州と、問題が多様かつそれぞれの接続性が自明ではないアジアでは、集団防衛のニーズが質的に異なるものだから、というものである。日米、米韓、米豪(NZ)、米比、米タイがそれぞれ異なる二国間の相互防衛条約が存在する所以だ(尚、タイに関しては1954年の東南アジア集団防衛条約<マニラ条約>の効力延長という形態をとっている)。

アジアのハブ・スポークスをより連結させる試みは古くからあったが、その多くは頓挫した。1954年に結成された東南アジア条約機構(SEATO)は英米仏豪を含む8カ国同盟の体裁をとっていたが、インドシナ問題とベトナム戦争における不調和を原因として77年に解体している。米豪ニュージーランド3カ国共同防衛の枠組みだったANZUSも86年のニュージーランド脱退によって形骸化した。東南アジアでは67年のASEAN結成と中立化構想の推進によって、ポストベトナム時代の東南アジアに米国の主導する同盟関係の連携拡大を持ち出すこと自体が難しくなった。

こうしたハブ・スポークスの関係に変化が生じるのは、冷戦終結後の1990年代以降の戦略環境ということになる。ここでも冷戦後の欧州がNATO東方拡大を通じて加盟国の拡大・機構改革を通じて構造的変容を遂げたのに対し、アジアでは同盟関係の拡大や制度的変化は生じなかった。アジアでは冷戦の残滓としての朝鮮半島、台湾海峡、南シナ海が依然として安全保障の焦点であり、歴史の終わりよりも歴史の連続性が主旋律だったからである。ただし、国際政治のマクロ構造としての冷戦終結はアジアにも大きな影響を及ぼし、90年代以降は米国の同盟関係(ハブ・スポークス)を補完する多国間安全保障対話の枠組みや、問題領域に応じたアドホックな安全保障協力などが活発に展開されるようになった。

こうした新しい安全保障の構図を捉えようとしたのが私が編著者となった『アジア太平洋の地域安全保障アーキテクチャ:地域安全保障の三層構造』(日本評論社、2011)である。同書ではアジアにおける安全保障を、同盟関係とそのネットワーク化(第1層)、問題領域別の安全保障協力(第2層)、全域的制度化(第3層)として位置付け、脅威の烈度や政策の目的に応じて展開される3層の相互作用として捉えた。すでに90年代から対北朝鮮政策で日米韓の政策協調は進んでおり、00年代に対テロ対策を中心に日豪・日米豪の安全保障関係は進展し、日米豪印の4カ国協力の起点とも言えるのは06年のスマトラ沖地震への災害救援協力だった。そしてフィリピンには00年代から日本やオーストラリアが沿岸警備隊支援を地道に進めてきた歴史がある。

今日のアジア域内の米同盟国間協力は、こうした第1層の安全保障協力の延長線上に位置付けられる(その変化の中間評価としてこちらも参照)。もちろん2023年8月の日米韓キャンプデービッド首脳会談、24年4月の日米比首脳会談は、首脳間の明示的な安全保障協力の推進という点においては新たな段階に入ったことは確かである。米英豪AUKUSは2011年の出版当時には想像もしなかった枠組みであり、防衛技術協力を主眼とする「第2の柱」に日本が加わる意思を示したことも、安全保障パートナーシップとして新しい基軸といえる。

ただしこうした安全保障協力を「アジア版NATO」と表現する(一部のメディアや論者の「べき論」や、中国等からの批判論の双方)ことは的外れである。NATOの本質は第5条の集団防衛にあり、締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなし、これに共同行動をとることである。米国はハブ・スポークス関係の中では防衛義務を負うが、同盟国間(スポークス同士の関係)においてはこのような防衛義務は目指されていない。日・韓・豪・比・(印)の関係を考えても、例えばカシミール問題をめぐるインドとパキスタンの軍事衝突(中印国境紛争でもよい)に日本の自衛隊が関与したり、尖閣諸島の防衛にインド海軍の来援を考えることも不適当である。ここまで極端なケースでなくても、朝鮮半島、台湾海峡、南シナ海それぞれにおいて、同盟・パートナー国が共同行動をとることを前提とすることは困難である。米政策担当者が「アジア版NATOを目指す政策ではない」と否定する基礎はここにある。

また「アジア版NATO」を目指す協力であることを念頭にスポーク間協力を進めることも、スポークス内の安全保障政策の自律性・選択の自由・ヘッジングを模索する動きを阻害する。現在の協力深化は、日・韓・豪・比・(印)の安全保障戦略や優先順位の相違点を認めつつ、それでも軍事分野における協力や軍同士の相互運用性の強化が必要で、これらの積み重ねが徐々に戦略の共有性に繋がっていくという漸進的(incremental)なものである。その前提となるのは、中国に対する抑止力の強化について総論を共有するものの、中国との戦略的競争の終着点や主権侵害のレッドラインの各論については、各国が共有しているものは少ないという現実である。

したがって現在の格子状(lattice)に展開する同盟協力の行き着く先は、アジア版NATOを前提としているものではない。「NATOのような」とか「ミニNATO」などという紛らわしい表現も、明確性に欠け意味が乏しい。現状の動向をどう表現するかは難問なのだが、抑止(deterrence)と保証(assurance)を組み合わせた地域的カスタマイズ能力の拡充、といったところだろうか(長すぎてヘッドラインにならないきらいがあるが)。ただし、シドニー大学のマイケル・グリーンがForeign Policyで「絶対ないとは言うべきでない」(never say never to Asian NATO)というように、もし中国との戦略的競争関係が同盟国間全てにとり後戻りができない対立関係となった場合(実際に台湾への全面侵攻が生じた場合等)には、NATO型の軍事連携は生じうる、という戦略的コミュニケーションには、かろうじて意義を見出せるだろう。それ以外では、そろそろこの概念を打ち止めにした方がよい。

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