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北東アジアの「トラック2外交」再生?

5月連休明けから3日間にわたり北東アジア平和協力対話(Northeast Asia Cooperation Diaogue: NEACD)という会合を、都内の国際文化会館で開催した。NEACDは発足以来30年以上の歴史を持ち、日米中露韓(北朝鮮)の6か国の政府関係者と研究者が集い、北東アジアの安全保障協力について議論する年次会合を開催している。政府当局者も個人のキャパシティで参加し、民間参加者とともに議論を深める形態であることから、トラック1(政府間会合)と異なるトラック2(もしくはトラック1.5)会合と呼ばれる。

今回のNEACDには延べ65名が参加し、カミラ・ドーソン国務副次官補(東アジア・太平洋担当)、ジュン・パク副次官補(北朝鮮担当)、スクレンカ米インド太平洋軍副司令官、ジョージ・ラウル在日米軍副司令官、劉暁明朝鮮半島特別代表、李埈一(イ・ジュンイル)韓国外交部北朝鮮核外交企画団長(特別代表代行)などが参加し、日本からも政府関係者として船越健裕外務審議官、三浦潤防衛省防衛政策局次長、松尾友彦同日米安保課長が参加した。北東アジアの安全保障を議論する錚々たる顔ぶれである。

「トラック2会合」は1990年代に冷戦後のアジア太平洋協力を進める目的のもと、政治・安全保障分野ではアジア太平洋安全保障協力(CSCAP)、経済分野で太平洋経済協力会議(PECC)が重要な役割を担ってきた。東南アジアに目を向けると、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国に存在する戦略研究所(ISIS)同士のネットワークが、アジア太平洋ラウンドテーブル(APRT)を開催し存在感を誇示してきた。こうした中で、北東アジア協力に焦点を当て、官民の知的交流に重要な役割を果たしたトラック2がNEACDということになる。

NEACDで特記すべきは、2002年のモスクワ会合から北朝鮮の政府関係者参加者を得たことである。北朝鮮外務省には軍縮・平和研究所という組織があり、外交問題についての対外発信や交流を担ってきた。北朝鮮からNEACDに歴代参加をしたのはこの軍縮・平和研究所の研究員、もしくはアジア局および北米局の外交当局者である。2003年に北朝鮮の核問題をめぐる六者会合(6カ国協議)が始まると、NEACDのトラック1.5としての協議の重要性はさらに高まった。北朝鮮の非核化や、安全の保証のあり方、信頼醸成などをめぐって、6カ国それぞれの交渉当事者と研究者が真剣な議論をする場として位置付けられたからである。

米ブッシュ(父)政権で国務長官を務めたコンドリーザ・ライスが2008-9年頃に北東アジア安全保障メカニズム(NEAPSM)構想を推進した際も、その母体モデルとなったのはNEACDだと言われる。その後、六者会合が暗礁に乗り上げ、事実上機能を停止すると、北東アジア安全保障協力の制度化に関する議論も立ち消えとなった。その後、オバマ政権の「戦略的忍耐」期間は、北東アジア協力そのものが停滞期に入った。北東アジアをめぐる問題の焦点は、台湾問題、尖閣諸島問題をめぐる日中関係、歴史問題をめぐる日韓関係など複雑さを深めていった。

こうしたNEACDの役割に新たな焦点を与えたのが、北朝鮮の核実験(2016-17)、米朝関係の緊張(2017)、南北・中朝・米朝首脳会談(2018)という北朝鮮をめぐる劇的な展開だった。この期間に北朝鮮はトラック2を利用した積極的な外交を展開した。NEACDをはじめ、スイス政府の主催するZermatt Roundtable、北欧諸国の会議など様々な会合に出席し、北朝鮮のナラティブ強化を計った。現在北朝鮮の外相を務める崔善姫(チェ・ソンヒ)もこのトラック2会合の常連だった。

私自身も過去これら多くの国際会議に出席し、北朝鮮外務省関係者とも交流を図ることができた。ときに先方から強い警戒心を示され接触を避けられるケースもあったが、次第に顔と名前を覚えるようになると、コーヒーブレイクや夕食時などの際に、次第に打ち解けた会話をすることができた。北朝鮮の外交官には洗練された英語を使いこなすものが多く、関係国の政治情勢や安全保障問題に関する高い専門知識も持ち合わせていた。北朝鮮が推進する核・ミサイル開発、非核化と安全の保証のありかたなどについて会話を深めたことは今でも印象深い。

さて、こうした北東アジア協力をめぐる機運も、2019年2月の第2回米朝首脳会談(ハノイ会談)以降、急速に立ち消えていった。北朝鮮関係者は、あれほど積極的に参加していたトラック2会合に姿を見せなくなり、2020年以降のコロナ禍においては北朝鮮の国境が封鎖され、北朝鮮国内の外交使節団をの多くも国外退去し、事実上のロックダウン状態となってしまった。

米中の戦略的競争関係の熾烈化も、トラック2会合に少なからず影響を与えた。米政府は多くの中国人研究者や軍関係者にビザを発給しなくなり、対面の会議自体が成立しなくなってしまったのである。NEACDはコロナ期間中はオンラインで会合を継続し、2021年からハイブリッド形式で対面会合を再会させたが、参加者の確保には依然として苦労が多かった。そして2022年2月のロシアのウクライナ侵攻によって、ロシア外務省の参加者は見込めなくなり、また米国政府などはロシア政府の参加自体に否定的態度を取るようになった。NEACDは受難の時代を迎えていたといってよい。

こうした時期に「NEACDを日本で開催してくれないか」という依頼が、主催者であるカリフォルニア大学サンディエゴ校グローバル紛争・協力センター(IGCC)から舞い込んだ。私が国際文化会館常務理事に就任したことを機会として、ぜひ東京で共催者(カウンターパート)になってほしいとの依頼だった。NEACDの常連参加者として多くの知己を得た自分にとっても、NEACDに対するささやかな貢献だけでなく、我々のシンクタンクの国際連携を推進するまたとない機会とも考えた。

冒頭に述べたように、今回のNEACDは日米中韓露5カ国から延べ65名の参加者を得る会合となった。NEACDの長い歴史で最も多い人数とのことだ。NEACDの取り決めにより、厳格なチャタム・ハウス・ルールによって誰が何を発言したのかを公表することはできない。ただウクライナ戦争、米中関係、北朝鮮、日本の防衛政策についてかなり踏み込んだ議論が展開されたことは紹介したい。

政府関係者らはNEACD会合の合間に、公式の政府間会合を開催している。外務省・在京大使館・飯倉公館などで開催されるのではないか、と思っていたところ、国際文化会館の中の会議室が公式会談の場になった。裏事情を言えば、この写真に掲載されている会議室は、普段部内の打ち合わせなどで使用する簡素な場所である。直前で他の宴会場は予約不可だったのだが「せめて日本庭園の見える場所で公式会談をセットしてあげたかった」と某高官に伝えたところ、「目立たない場所の方がいいんだよ」と微笑んで目配せした。

こうしたトラック2外交の醍醐味を国際文化会館で展開できたことは、ディレクターとして光栄なことだ。過去20年以上トラック2外交に関わってきたが、こうして自分がホスト側に回ることの充実感はひとしおである。第1日目の歓迎夕食会スピーチでは、国際文化会館の原点が戦後の日米和解にあり、多くの文化・知的交流が育まれた歴史を紹介した。こうした歴史の延長にNEACDが位置付けられるからこそ、多くの参加者がNEACDと国際文化会館を信頼して、真摯な議論に打ち込むことができたという思いに駆られる。互いの意見を存分にぶつけ合った最終日に、互いの存在を認め合い理解することの重要性が語られたことにも表れている。

NEACD東京会合参加者(5/9, 2024)
NEACD本会合の様子(5/9, 2024)
米国務省のジュン・パク副次官補(北朝鮮担当)と中国外交部の劉暁明朝鮮半島特別代表による米中政府間会合
李埈一(イ・ジュンイル)韓国外交部北朝鮮核外交企画団長(特別代表代行)と中国外交部の劉暁明朝鮮半島特別代表による中韓政府間会合


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