見出し画像

伝えたい

🟡 言葉はただ情報伝達を可能にするために人間に与えられているのではない。情報伝達のために声帯を震わせるのは人間だけでなく、小鳥のさえずりや犬の遠吠えもその種の行為であるから、それら「音」と「言葉」は明確に区別される必要がある。人間にとっての言葉とは実存に深くかかわる問題で、いわば世界そのものである。そのことを如実にあらわす例が、神聖ローマ皇帝フレデリック2世が
・フレデリック2世 (1194-1250)
中世におこなった言葉に関する実験であろう。

乳児に衣食住は十分に与えるものの、一言も言葉を話しかけずに育てたら何語を話し始めるかというこの実験は、乳児全員の死という結末を迎えた。これが教えるのは、人が生きるためには他者のまなざしが必要であり、そのまなざしは言葉を通して届けられるということだ。つまり言葉とは他者からの贈りものであるといえる。乳児には言葉が指示する情報の内容はわからないから、そこでのやりとりは情報伝達の域を超えている。では一体なにが生じているかといえば、乳児に言葉を話しかけるとは「ここにあなたに向けて言葉を発している誰かがいる」ということを伝える試みにほかならない。そのような贈り物としての機能をもった言葉は大人になった人間たちの間でも交わされており、他者との良き関係性を築くことにつながっている。つまり、言葉を贈られて人は他者の視点を内在化していく。言葉がなければ他者を把握できない。他者を把握できなければ自己と出会うこともなく、世界それ自体が成り立たない。人間は他者を鏡として生きる関係性の生き物であり、生きるために言葉を無意識的にも必要としているのだ。
だそうだ!
〜 佐藤憲一 〜

 

家紋車

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?