LUCIA TRASLUCIDA(再録)

 2007年の7月に、イングランドのミッドウエスト地方を記録的な洪水がおそった。

 忘れようにも忘れられないのは、大雨の降ったその日に僕自身がロンドンからチェルトナムへと向かうバスのなかで、幹線道路の麻痺のため11時間もの監禁状態を経験したからだ。

 それはちょうどヒースローを発った飛行機が成田に降りたつ時間と同じだった。僕は穴ぐらの野ネズミのように身を縮こませながら、Lにメールを打った。夢から覚めても全く同じ場所にいるよ。この感じじゃあ今日中にそっちに着けるかわからない。まったくもって悪夢だ。

 「poor thing(かわいそうに)」と短い返信がきた。

 大雨が嘘のように晴れきった翌朝に大規模な断水が告知されると、スパーマッケットの駐車場にはわれ先にと生活物資を買い込む車がひしめきあい、軽いパニックと躁の雰囲気を醸していた。化学工場が冠水した、水道水が毒された、不審者が貯水タンクにガラス片を混入させた、そんな情報がテレビ報道や噂話のうえを飛び交っていた。昼食の時間にLのお父さんが「小用を足す際にはトイレの水を流さないこと」と僕にアナウンスした。「バスタブに水を貯めておいたから、手洗いなどにはそれを優先的に使うこと。」

 僕とLはシャワーを浴びるかわりにやかんのお湯を洗面台に溜め、それにタオルを浸して代わる代わる裸の体を拭いた。「水なんてそこかしこにあるのにね」とどちらかが言った。まるで週末のキャンプ旅行のような、無邪気で祝祭的な気分がそこにはあった。

 晴れた日が続いた。溢れかえった近所の池の水抜きも、のろまながら進行していた。そんなある日、僕はLとともに街に買い物にでかけた。 Lの父親のブカブカのゴム長靴と、極地探検に出かけるみたいな防水ジャケットを借りて。

 チェルトナムの中心地へとぬける公園の生垣が水につかっていた。Lは夏に子育てをするハリネズミの赤ちゃんは死んでしまったにちがいないわ、と少し沈鬱的な表情をしてから僕の腕をとり、「東京にハリネズミはいるの?」と僕に聞いた。僕が「いない」と答えると彼女は水たまりをはねて生垣のほうへと歩いていき、茂みのなかを点検しはじめた。僕のもとへと戻ってきた彼女はてのひらにブラックベリーを三つ四つ乗せていて、そのうちのひとつを口にふくみ、僕にもすすめた。僕がそれを断ると、彼女は風にふふんと鼻を鳴らして言った

 「東京に一度は行ってみたいわ。どんなところなのかしら」

 ふいに、東京に降る雨のいろいろな表情について彼女に話してみたいという思いが胸にわいた。が、それがなんだというのだろう。僕は少し困ったような唸りをあげたあと、注意深く言葉を選びながら話した。

 「東京について説明するのは、じつはとても難しい。とくに、そこに自分の生活があるのだ、ということを前提に話すときはね。君は東京を先鋭的なモダン都市として経験するかもしれないし、単に迷宮じみた(labyrinthine)場所としてしか思わないかもしれない。オレにとっては、大学があって、家族がいて、時折盛り場で羽目を外すこともある、そんな場所だとしか言えない気がする。」

 Lは僕の顔をじっと覗き込みながら、その言葉のひとつひとつを反芻しているように見えた。すると彼女はとつぜんに 、

 「labyrinthine、好きな形容詞だわ」

 と、ひとりごちるように言った。人はじつに色んな言葉を愛好するものだ。そう感嘆しながらも僕は、自分の不器用な英語でも、相手の好きな言葉を発したりすることがあるのだということを知り少し嬉しくなった。そして、どうやらそのことが僕を笑顔にさせていたらしかった。Lはその顔に笑みを返しながら、「あなたの好きな形容詞はなに?」と僕に尋ねた。

 僕はかつてお気に入りの英語の形容詞をもったことがあったろうか。それがわからなかった僕は、咄嗟に心のなかにモリッシーやモリッシーやモリッシーなどのリリシストを召喚し、「気の利いた形容詞を頼む」と懇願した。

 「insecureだろ?」と僕のモリッシーは言った。「そういうのはやめてくれ」と僕は答えた。

 「awkward? 」続いて僕のモリッシーは言った。「なぜそうなる?」と僕は聞き返した。

 「わかった!disorientedだろ!気が利いてるってこういうことだろ?」モリッシーは膝をうって喜んでいた。「なんというか君はもう最悪だ」と僕は彼に告げた。

 そうやってひとしきりモリッシーを呪ったあとに、隣のLのことを考えるとふと、“translucent”(半透明な)という形容詞にでくわした。

 “translucent”という響きを確認したLは、いたずらっぽく「おばけみたい(That's very ghostly.)」と言った。

 「“Ghostly”か、」と僕はあたまのなかで復唱する「それも嫌いではないよ。」

 Lはてのひらのブラックベリーをもうひとつ口にふくみ、最後のひとつを僕の口に押し込んだ。口のなかに甘酸っぱい異物感が広がり、すぐに消えた。「味気ない」と言ってしまえば、ただそれだけの味だったかもしれない。

 Lのことを鈴木春信の美人画で見る女の子に似ている、と僕はかつてどこかに書いたことがある。周囲の重力を反転させて宙に浮かんでいるような女の子だ、とも。当時、ありとあらゆる非現実的な想念が僕の頭のなかを去来したものだった。それから三年のあいだ、自分を取り巻く状況が複雑になるにつれ、自分の感情のパターンにも随分と厄介な回路が加わって、そのせいで前に比べて消極的になったような、逞しくなったような、無感動なような、熱っぽいような、ややこしい人間になった。いつも気がつけば変化のなかにいて、旧い人格を脱皮しようとしている自分がいたりする。

 その変化のなかで、彼女の声やその他いろんなことが思い出になり、さらには思い出すことさえ難しくなってしまってから久しい今でも、遅く起きた朝、窓の外に雨の気配を感じて世界中のハリネズミがぷるぷると濡れた体を震わせているような出鱈目な錯覚を覚えるときに、あのブラックベリーの幽かな味を口のなかに感じることがある。

 困った、またおばけが出たよ。

(2010/12/01)

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