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見立て、仮説、そして誤配

見立てと仮説は似ている。AをBに見立てるとは、Aという事象を前にして、Bという背景や原因を仮説する、という認知パターンの亜種だ。

ただ、見立ての方が「発想」の要素が強く、より自由な、創造性や想像力をベースとしているのに対し、仮説は「確からしさ」を目指して行われる行為という印象が強い。また、双方とも全くの出鱈目では意味がなく、AとBを結びつける項目Cが少なくとも一つ、あるいは複数あり、それが何らかの説得性を持たなくてはいけない。

この項目Cの見つけ方が難儀だ。仮説構築は帰納法的な方法論だと思われるかも知れないが、実際の仮説構築の現場で必要とされるのは全てのデータを全て集めて全てに当てはまる法則を立てることではない。寧ろ殆どデータはないが、「驚くべき事実A」があり、一見無関係に感じられるBを仮説する、そのためには項目Cの存在が不可欠になる、という構造になる事が多い。

つまりは情報が不完全である中で、それでも何かを「仮説」して、前に進んでいくイメージだ。このコンセプトがベイズの定理の印象と似ている。そして、そのうち、あるAに対して、頼まれてもいないのに勝手にBを見つけ出してしまう。

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