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未来の遊びはセルフジャッジ

けん玉おじさんトーゴです。
また新しい遊びを覚えてしまいました。
サバイバルゲーム(サバゲー)
です。
丘や森林ばかりの田舎に住んでいるので、片道30分でサバゲーフィールドが3つもあります。
なのに今まで未経験でした。

初めて体験し、驚いたことは
セルフジャッジありきの遊び
なのに
破綻しないシステム
を構築していることです。

銃が好きな人は色々います。
だからこそ、いろんなルールが作られたりして、なるべく楽しさをキープしつつ、サバゲーの宿命である
セルフジャッジ
をいかに公正にするか、今も試行錯誤しているのだなと感じました。

けん玉界隈、特に競技けん玉には「ルールの厳しさが楽しみを削ぐ」という一面への対処が現在進行形で問われていると思っています。
それへのヒントがここにあると感じたのです。

・少しでも疑われそうな時は、潔く負けを認める
・誰でもわかるように負けを認める
・悔しさを他人にぶつけない

など、ルールというよりマインドに近いルールが多く、意外と過去の日本人に足りなかった部分なのかも。
見てわかる通り「負けた時」の心構えなのだなと感じたのです。これを初心者は🔰レクチャーを受けてからゲームに参加します。
これが全員できれば、サバゲーやけん玉に限らず、どんなスポーツも楽しくなるはず。
そう思ったのです。

お昼は注文したお弁当

今までのスポーツは、公正にするためにはルールを追加することが前提でした。
勝ち負けをハッキリさせることこそが、正しいという考え方です。
でも、ハッキリさせることを前提にしていると、いつかスポーツは苦しいものになります。現に、オリンピック選手のほとんどは苦しい経験をして、それを乗り越えてメダルを獲得していることがほとんどです。

でもサバゲーは敵1人にBB弾を当てても、何ももらえません。むしろ、そこを突き詰めることは最終的には戦争での戦闘などに行きつきかねません。
BB弾を撃ち合う「サバゲー」であり、そうあらねばならないのは明らかです。
だから、勝ち負けや判定をセルフジャッジに委ねているのだなと感じたのです。
遠い距離なら避けることもできるBB弾だからこそ、ルールの正確さよりも楽しさの保持を優先した「マインドのルール」ありきなのです。

さて、けん玉です。

けん玉も玉に触れてはいけない技や、手首の向きを変えてはいけない技など、審判の視認性がなかなか確保できない場面も多いです。
それが発覚するたびに、ルールを厳しくしてきた歴史もあります。

どうですか。
そろそろ正しさより、楽しさにも目を向けてみませんか。

競技であっても、サバゲーのように負けた時の「お互い様」のマインドがあれば、セルフジャッジが生きてくるはずです。
怖い顔をして目を皿のようにして見つめる審判が何人いようとも、けん玉の楽しさは担保できません。そこには勝ち負けにこだわりすぎたニッチなスポーツが残るだけ。
けん玉じゃなくてもいい
と、思われても仕方がないです。

ちょっと厳しいことを書いてきましたが、私はけん玉が大好きです。
私のような「けん玉好き」がもっと増えて欲しいから、サバゲーで垣間見た
セルフジャッジ
に未来を感じたのです。

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