【タダの人】

久々にnoteの投稿をしようと思いスマホを手にとってみた。
会社員として働きながら余暇時間で動画編集を受けてやっている私の周りには色々な人が集まり、たまたまnoteの話題になったので、久々に日記のようなスタイルで今までの活動を振り返ってみようと思いスマホの画面と向き合っております。

・会社員としての私

普段はガス屋さんとして会社に勤務する普通のサラリーマンです。仕事の内容は管理部で事務処理全般を行います。エネルギー業界ということに加えて、事務職ということもあり、当直勤務以外は基本的に定時帰宅である。
しかしながら、生活に直結する仕事のため、休日は他業種に比べると少なく感じる。

以前は同業種の別の会社に勤めて営業職も経験しており、その頃は深夜残業、接待の飲み会、早朝日の昇る前に現場に入ることあった。
そうした経験も後に私には大きな経験となったと振り返ることができるのだが、その当時はそうした環境に耐えかねて、転職を選んだ。

転職後の私は、仲間内でやっていたバスケットチームで転勤になった当時の代表から頼まれ、社会人のサークル活動を任され代表者となった。

サークル活動だけでは、前職と今の仕事の時間の使い方の差を埋めることができずに時間を持て余していると、たまたまメンバーが連れてきた1人の男と意気投合して、YouTubeに動画を投稿することとなった。

・駆け出しYouTube

初めて投稿したのは2013年9月のこと。
当時は今ほどYouTubeは身近な存在ではなかったのかもしれない。
私たちが投稿した動画も大して再生回数も伸びず人目に触れることはなかったが…
小さなコミュニティで話題を呼んだ。

投稿した動画の内容がイベント出演などと相性が良かったため、前職の営業の経験が活きて、学園祭や地域のイベントに出演させていただく機会もあり、わずかではあったがスポンサーの話もいただいた。

しかし、良い時間も長くは続かなかった。
友人の失踪という形で活動の継続は難しくなった。後に彼は地元に戻り、すべてを告白してくれた。活動の継続は難しくなったが、私にとってはこのYouTubeの動画投稿は大きな転機になった。

・動画制作の認知

YouTubeの活動は短い期間で終えてしまったが、その話を聞きつけた仲間が結婚式などの動画撮影と編集を依頼してきて、何組かの結婚式を撮影することとなる。
そして、たまたまこの動画が好評だったので、バスケットのイベント団体でも撮影をさせてもらえることになった。

バスケットのイベントでは、撮影兼スタッフとして広報的な役回りから、当日の運営の一端を担った。そうした経験も重なり、交流の場は加速度的に広まり、次第に動画の人として小さなコミュニティからまた別の小さなコミュニティへと派生を始めた。

バスケットの動画を作り、色々な人の目に触れるうちにイベントのスタッフとしての認知度も少しずつ広がり、2度目の転機を迎える。

・自前のイベントの発足

ある日、動画制作をもっと活かせる環境を作りたいと何気なくFacebookに投稿した。
すると、1件のコメントがつく。

意外な人物であった

YouTubeの活動をしていた頃に、スポンサーとして名乗りをあげてくれた同世代の個人事業主さんからのコメントであった。
ひとまず会って話がしたい。とのことで、すぐに事務所へ会いに行った。

話の内容は
私たちの暮らすこの地域でイベントを開催したいから協力してほしい。
その申し出に対して、断る理由もなく、すぐにできることから取りかかった。
会場をおさえ、審査員に業界でも有名な方にご協力いただき、MCに地元アーティストの協力をお願いし、スポンサーさんにもついていただいた。
イベントスタッフとして動いていた経験も活きて私たちは400人規模のイベントを開催し、全国から参加者を集めることができた。

・そして縁は広がる

こうした活動が人から人へと広まり、撮影協力や編集、イベントの運営に関わる依頼が少しずつ広がってきて、ブログのライティングや企業案件など多岐にわたってお声がけいただけるようになっております。

特出した技術はなく、キッカケはYouTubeに上げた1本のタダの動画です。
お金をいただいている商売ではないですが、数をこなすうちに少しずつ認知されて縁が広がり、7年経った今年、YouTubeの案件をいただいて毎週打ち合わせと編集を重ね少しずつコンテンツを増やしております。

YouTubeと文章を書くということは相性が良いので、求められるフェーズが来るまでに少しでも慣れるために練習を重ねていきたいと思います‼︎

最後までご覧いただきましてありがとうございました‼︎

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