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襟裳岬から伸びる道路は何故『黄金道路』と呼ばれているのか。

こんにちは、ハレルヤです。
今日は襟裳岬のお話です。

襟裳岬(えりもみさき)といえば北海道の屋根と呼ばれる
日高山脈の最終地点です。

あと、襟裳岬で有名といえば、吉田拓郎さん作曲で森進一さんが歌った『襟裳岬』が大ヒットしたのが昭和49年。

そのおかげて、何もなかった襟裳岬にも観光客が訪れるようになりました。

その、襟裳岬から広尾町に至る31・7キロの海岸道が通称『黄金道路』と呼ばれています。

この黄金道路は観光客が訪れるようになってからその名が付いたかと思われるかも知れませんが、実はそうではなく1934年、襟裳岬が開通した当時から『黄金道路』と呼ばれていました。

なぜかというと、この道路が建設された当時、現在の様に重機があったわけでなく、しかも断崖絶壁の日高山脈に道路を作るという難しい工事だったのです。

この工事で亡くなった人は21人、それでも広尾町から襟裳町まで道路を命を懸けて作った道路だったのです。

難所を克服し、完成まで至った当時の人たちの気持ちを考えると感慨い深いものがあります。

こうして、この道路は『黄金道路』と名付けられたのでした。

今回は以上です。

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