まる裏現代俳句時評 #1

はじめに

 7月から『俳句』の現代俳句時評を執筆しています。このNoteではその裏話というか、表であまり書けないことをラジオ的に書いていきたいと思います。角川のページは角川に責任の一端を担わせてしまうけれど、此処では何かあっても僕しか責任を負わなくていいので、もう少しコアなところまで書けるということです。本当は月一で書いてすこしでも雑誌の宣伝になれば、といわゆるクロスメディア的な事を考えていたのですが、余裕がなさすぎてそんなことできませんでした(今も仕事から逃避して書いているようなものです)。なので、よくて隔月になるかなと思います。
 話を戻しましょう。時評を任せてもらうことになったわけですが、つくづく、こんな若造に4ページも与えてくれるなんて、願ってもない機会と思います(ホントは半年前なら就職前だったのでもっとできたんですけどね、、贅沢は言えません)。邪推だけれど、編集長とちょくちょく会話できたことや、2,3月で担当した「セクトポクリット」の「ハイクのミカタ」を一生懸命書いたことが今回の仕事に繫がったのかな。なんて思ってます(堀切さんありがとうございました!)。普通じゃもらえない仕事です。
 下半期の全6回あるのですが、角川に求められている僕のミッションは「俳壇をかき回す」ということだと思っています。若くて失うものは何もないので、等身大に思っている事を全てぶつけて、触発していければと思います。付随して、自分の目的としては、自分の思っていることを発信して自分の周りの人を自分で選んでいくことかなと思っています。類は友を呼ぶ、ではないですが、自分の周りの環境を自分で作るのは大切なことと思います。

ふりかえり①  7月号「田中裕明賞のこと」

 7月号は田中裕明賞のことについて書きました。文章の内容ですが、今回の田中裕明賞の候補作に突出した作品がなかった(これは主観です。余談ですが、読んだ中では『木賊抄』が一番良かったと思います)中で、予想外の結果、しかもW受賞という率直な驚きを導入に展開しています。その補強として選考委員の言葉も引用しており、関悦史の

賞の格を重視した場合、該当作なしとするのが妥当と思えたが、新人賞のことではありなるべく受賞者を出すべきとも思い、他の選考委員の点も集中した上位二作への授賞にことさら異を唱えることはしなかった

という言葉や、佐藤郁良の

私自身は、『夜景の奥』の単独受賞でよいのではないかと思っていたが、最終的にはダブル受賞を受け入れた。ダブル受賞とすることで、賞の価値が下がることは好ましいことではないが、受賞をきっかけにその作者がさらに伸びてくれることを期待したいと思ったからである

という言葉を参照しています。そして、前半で、賞の「ピボット」(選考委員の交代に伴う賞の性格の変化をこの文章ではこう記述しました)について、後半で、若手にとっての賞の役割についてを、田中裕明賞を中心に語りました。
 前半では、選考委員の交代の仕方がいくつかある中で、段階的にではなく一気に交代することの難しさと、それによって田中裕明賞が大きくピボットしたという事を書きました。特に、賞の基準について、もしくはその基準による「差別化」について、前任の四人の選者は「受賞作なし」を織り交ぜたり、俳人協会新人賞句集などを落としたりして、他の賞にはない大胆な性格を確立したという事を述べました。
 後半では、佐藤の「受賞をきっかけにその作者がさらに伸びてくれることを期待したい」という言葉を引き合いに、賞を(受賞の基準をことさら厳しくせず)若手に与えることのリスクと重要性について述べています
 これについて、雑誌が出た当初から、受賞者である浅川さんがTwitterで反応してくれていました。早くアンサーしようと思っていたのに遅くなってしまったけれど、せっかくいただいた感想なので、それに答える形で裏話的に振り返っていこうと思います。
 浅川さんは何個かツイートしてくれているのでいくつか引用します。一番核心に迫れる文章が下記です。

板倉時評(俳句7月号)について言えば、(今回の田中裕明賞が)「「賞の格」を多少脇に置いても受賞者を出す、という合意」をしたというのはちょっとミスリード。関さんの引用でわかりにくいが、選考経過報告をみると後半部分は正確には「Wで受賞者を出す」が主な論点だったように見える。

https://x.com/asakawww/status/1805638360997970045?s=12&t=27kKMwazOLCMmCPn7H4uqQ

 浅川さんがおっしゃることはまさにその通りで、確かに選考会ではWか単独か、ということが話題になったようです。これは真。しかし、今回の選考会で「『Wで受賞者を出す』が主な論点」になっていたこと自体の是非はどうでしょう。自分の考えは、「いや、そもそも受賞ありか受賞作なしかをしっかり議論しなくてはならなかったのでは? (いわんやW受賞をや)」ということだったのですが、浅川さんはどうお考えだったのでしょうか。文章の通りの悪さについては、腹の中で考えていたことが文章に透けてしまったのかもしれません。
 ちなみに文章の中でその辺りの書き分けは実は一番気を使ったところで、関や佐藤を主語にした時は、受賞を出すか否かの話とは区別できるように「合意」や「承認」といったワードで、消極さが滲み出るよう書き分けました。あと引用したツイートの、「関さんの引用でわかりにくいが」というのは、ちょっとどういう意図か分かりかねました。この引用をしないとそれこそミスリードというか僕が噓つきになってしまいます。これがあるから、「本来は『文句なしの単独受賞』にもなりようがなかったでしょう? なんで0or1の話ではなく1or2の話になってるんですか?」という僕の暗の主張につながるわけです。
 さて、浅川さんはもう一つ鋭い感想を残してくれています。

ただ、何が言いたいのかはもうちょっとハッキリしてほしいかな。賞を批判するのか、選考委員を批判するのか、受賞作のレベルを批判するのか。

https://x.com/asakawww/status/1805621384791703733?s=12&t=27kKMwazOLCMmCPn7H4uqQ

普通に読めば、「賞の価値が下がり、受賞者が見向きもされなくなるリスクをとって、田中裕明賞が教育的方向により選考基準を変えた(下げた)」というのが板倉さんの主張なのだが、そこがすごく気を遣って書いているように見える。こっちはそんなにヤワじゃないぜ。

https://x.com/asakawww/status/1805625088882229467?s=12&t=27kKMwazOLCMmCPn7H4uqQ

 一連のツリーから引用させてもらいました。結論から言うと、この浅川さんのご指摘もごもっともです。特に、「何が言いたいのかはもうちょっとハッキリしてほしい」「すごく気を遣って書いているように見える」というのは、こちらの文章力不足を看破されたようでお恥ずかしいのですが、こちらについても僕の文章の「裏テーマ」をまる裏的に語らせてください(ちなみに、この号の文章は「かなりのバランス感覚だね」と褒められもしました笑)
 これについては、結論から言うと、自分の文章の目的が「句集の批判」ではなく「選考委員の批判」でもなく「田中裕明賞がもう少しいい方向に行ってほしいという一若者の意見を表出させる」ということにあったから、ということになります。すなわち、あまりピンと来なかった句集の批判を滔々と4ページやることも、これから出すかもしれない賞の選考委員4人を相手どって外野から批判を展開することも、大義のない文章になってしまうということです。前者のようなくだらないことをやっている暇もないし、後者のようなリターンに見合わないリスクをとることもしません。自分のしたかったことはそうではなく、「どうか目を覚ましてください」と4人(のうちの数人)の選考委員に言いたかったということです。お互いの着地点をフワフワ探り合ってW受賞に不時着するのではなく、「もっと闘えよ」ということが言いたかったのです。流石にそんな下品な口調でいうこともできないし、淡々と批判したところで態度を硬直させるだけです。だから、ある意味で「気を遣った」わけです。僕は、ただ、昔の大好きな田中裕明賞の姿が変わりつつあることを悲しく思い、それをなんとか変えてほしいと思っただけであって、せっかくの句集を貶めることも、これから後半5回の選考を控えている4選考委員にトゲを向けることもしたくなかったわけです。だから、浅川さんのいう「こっちはそんなにヤワじゃないぜ。」というのにお返しするとしたら、こちらはそんなにヒマじゃないので、ということになります。
 この話題を書くか、他の話題を書くかは正直とても迷いました。自分で言うことではないですが、ここ数年で第一句集を出そうと思ってる人間が、そして田中裕明賞に憧れている人間が、ここまで書くのにどれほどの決断があったか、ということは皆さんに想像してもらってもいいかなと思っています。

ふりかえり②  8月号「所属についての考」

 これはひとえに反省、という原稿です。この原稿を書くためにTwitterでアンケートを募って、163名の俳句関係者の皆様にご協力いただきました。ここまで皆様にご協力いただいたのなら、しっかり芯のある文章を書かねば、とは思っていたのですが、恥ずかしながらただただ力不足が露呈したという内容になりました。まる裏的に、何がダメだったのかというのを書いていこうと思います。
 文章以前の問題も挙げるとキリがないです。時間がなかったとか、Google Formsの設計が悪かったとか、そんなしょうもない問題もあります。しかし一番良くなかったのは、アンケート結果をもとに「みんなの声」を伝えに行くのか、それともそれは援用にとどめて、あくまで自分の書きたいことを書きに行くのか、なんとも中途半端になってしまったことです。これでは良くない。
 結論から言うと、もっと自分視点で自分の論を展開しつつアンケートを使えばよかったなと思ったのでした。予想外にたくさんの方に、(しかも名のある方も大勢)ご協力いただいたので、なんとかそれに応えたい、という思いが先行してしまいました。
 当初は、マジで世の中に若者が入るに値する結社って少ないですよね、なんとかなりませんかね? という文章を書こうと思ったのですが、いや、世の中どうなってんの? と思ってアンケートを取ってみたら、マスの意見を平均化するような操作が頭の中で働いてしまい、結局「言いたい」という尖ったところが丸くなってしまったというところでした。準備力から始まり、構成力・筆力・分析力、何を挙げても力不足でした。角川の方にも、読者の方にも、アンケートにご協力いただいた方にも、申し訳ないです。
 ただ、こんな不甲斐ない文章ですが、なんとか推敲して読めるようにはしたはずです。何人かの方には、7月号・8月号についてお褒めいただいており、そういうお言葉を聞くと力が出ます。引き続き体当たりで頑張りますし、もし失敗したらまたここのNoteに書き込みに来ますので、今後ともよろしくお願いいたします。ご意見ご感想もなんらかの形でフィードバックいただければ大変ありがたいです。DMやメール、リプ等等お待ちしています。

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