確かに、そのとおりなのだが、、、、、。

 次期総理大臣最有力候補の、菅氏が公の前で、自助公助共助発言をして、リベラル界が騒いでいます。
 
 この言葉自体、社会福祉のテキストに出てきて、介護福祉士のテキストにも出てきたのを、私も覚えています。
 ある自立できない人がいたとしましょう。その方は障害者、老人、はたまた乳幼児?その人が自立できるまでに援助が必要なのだが、この場合やはり、公助が必要となります。この場合、公共団体から費用を捻出する。その費用は税金などがあてられます。
 さらには、共助という考え方もあり、これはボランティアを指すとわかりやすいと思う。公助に仕える人たちを支える費用は税金から捻出されるが、共助で仕える人たちは、手弁当です。

 さて、前置きがかなり、長くなってしまったのですが、1番最初に挙げた自助を突き詰めると、自己責任という言葉になるのではないでしょうか?
 私も、コロナウイルスに関連して、ノートに載せさせていただきました。
https://note.com/ken_ken2020/n/nae8bb171d184
 ノートには、コロナウイルスに感染したら、誰の責任になるかを、アンケートにとったところ、自己責任と感じる人が一番多いのが、我が国の状態です。

 この中にあって、さらに国の指導者が、自助を言い出したら、今まで以上に自立しようとしている人達を追い詰めるのではないでしょうか?私は、その状態を、社会が分断されやすく非常に国民にとっても、社会にとってもさらには、国家にとっても危険な状態と危惧しています。ここでは、分断については、詳しくありませんが、時の施政者が独裁政権を獲得しやすい状況になると思います。

 奥田知志牧師は、「助けてと言える社会」を唱えていますが、そのことについて少しだけ考えてみれば、読者の皆様が、「助けてという状態」を想像していただきたいのです。そ、その時、皆様は自分でできることを全てしている状態と思うのです。

 ですから、この時に、もう一度、自助公助共助の意味を考えて欲しいと思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?