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指定席

マスター
青年
老人

マスター:いらっしゃいませ。ここは郊外にある小さな喫茶店【喫茶レストリー】でございます。レストリーとは私の考えた造語でして、レスト(休息)しながら皆様の様々なストーリー(物語)をお聴きしたく名付けさせて頂きました。あっ、申し訳ございません。そちらのお席はリザーブドの札を置かせていただいておりますようにご予約席となっておりますので、他の空いているお好きなお席におかけ下さい。え?何故こんな中途半端な席のご予約かですか?...んー、そうですね。少し昔話にお付き合い頂いてもよろしいですか?では、今しがたコーヒーをお淹れ致しますね。それでは...

青年:僕がなんの気なしに入ったその店は全てを包み込むコーヒーの香りと柔らかな音楽、そんな安らげる空間だった。そしてこのマスターの人柄を表すような穏やかな語り口調はまるで時間を忘れさせてくれるようだった。

マスター「あれは、この店が開店してまだ間もない頃のことなんですがね。1人の初老の男性がご来店されました。そのお客様は紳士と言う言葉がピッタリと当てはまるような方で、こちらの席にお掛けになられたのです。」
青年「今僕が座っている席ですか?」
マスター「えぇ、今お客様がお掛けになられているお席です。あぁ、コーヒーが入りました。お待たせ致しました。」
青年「ありがとうございます。頂きます。」
マスター「お口に合えばよろしいのですが。...先程の続きをお話させて頂いても?」
青年「もちろんです。」
マスター「では...そのお客様は待ち合わせをしていると仰っていました。しかし、私はそのお客様をお見かけしたことがございませんでしたので、不躾ながら質問をさせて頂きました。」
青年「何をお聞きしたんですか?」
マスター「失礼ながらお店をお間違えてはいないかと。しかしそのお客様は『喫茶レストリー』で間違いないと断言なさいました。ですので、私もそれ以上立ち入ることもはばかられましたので、ご注文をお伺いしました。」
青年「単に新しい店で待ち合わせしようとしていたんじゃないですか?」
マスター「そうですね。その可能性もあるのですが...。」

青年:マスターがほんの一瞬だけ何かを言い淀んだ気がしたが、またすぐに話し始めた。

マスター「待ち合わせのお相手が来られることはございませんでした。」
青年「え?」
マスター「私もどうしたものかと思いながらも店の片付けがございますから、お声をお掛けし、お会計を頂戴致しました。」
青年「それがこのリザーブドと関係あるんですか?」
マスター「えぇ。実はそのお客様、また次の日もいらして下さったのです。しかし、やはりお相手は現れず...。その翌日も、またその翌日も、同じようにしてご来店されては、私がお声をかけるとお会計を済ませ店を後にすると言うことの繰り返しでございました。」
青年「やっぱりお店を間違えてたんじゃ...」
マスター「えぇ、私もそう思い10日ほど経った頃にそう申し上げたのですが、この店で間違いないと仰るもので...。それから更に10日ほど経った頃でしょうか。そのお客様にこちらのお席を予約させて欲しいと言われましてね。」
青年「もしかして...その時から?」
マスター「えぇ。そしてそのお客様は次は待ち合わせではなく一緒にご来店されると仰っておりました。」
青年「じゃあ相手の方もここに?」
マスター「いえ、お相手の方どころか、そのお客様もそれ以来ぱったりとお姿を見せられなくなりました。」
青年「じゃあなんで...」
マスター「何故この席を予約席のままにしているか、ということですよね?」
青年「はい。」
マスター「彼は必ず来ると仰って下さいましたので、その時にこの予約席が埋まっていたらお約束を守れないと思いまして。」
青年「でももう何年も来ていないんですよね?」
マスター「えぇ。しかしね、私にはどうしてもあの方がお約束を反故にするようには思えず、今に至ると言う訳でございます。」
青年「何かその...根拠とかあったりするんですか?」
マスター「いいえ、特にはございません。ただ、私の直感のようなものでございましょうか。」
青年「そう、なんですね。」
マスター「えぇ。因みに全くの偶然ですが、今日がそのお客様が初めて来られた日なんですよ。」

青年:この時には僕の手元にあるカップはすっかり空になっていた。しかし、話の続きがなにかあるのではないか、そう思いなかなか席を立つことが出来ずにいた。

マスター「おや、気が付かずに申し訳こざいません。昔話にお付き合い頂いたお礼にもう1杯お飲みになられませんか?」
青年「じゃあ...お言葉に甘えて。お願いします。」
マスター「かしこまりました。」

SE:カウベル

青年:入店を知らせるベルの音が鳴る。僕は不意に入口の扉に目をやる。

マスター「おや、いらっしゃいませ。」
青年「おじいちゃん!?...と、おばあちゃん!?」
老人「随分とお待たせしてしまいましたな。」
マスター「お待ちしておりました。こちら、ご予約のお席でございます。生憎お客様のいつものお席には彼がお掛けですので反対側のお席でもよろしいでしょうか?」
老人「あぁ、構いませんよ。ふふ。まさかお前がこの席に座っておるとはな。」

青年:僕の頭の中にはたくさんの疑問符が並ぶ。マスターはリザーブドの札を外し、そこの席には僕のおばあちゃんが座る。

マスター「いつものでよろしいでしょうか。」
老人「えぇ、お願いします。」
青年「おじいちゃん、なんでここに?おばあちゃんも一緒に...施設からは外出許可もらってきたの?」
老人「今日はな、おじいちゃんとおばあちゃんがお前のお父さんが結婚して家を建ててから初めて2人で外で待ち合わせた記念日なんだよ。でも、おばあちゃんはここには来なかった。当時は携帯電話なんて便利な物はなかったからな。ここで待つしかなくてな。でも家に帰ってもおばあちゃんはいない。もちろん警察にも届けたがなかなか見つからなくてな。しばらくこの店には通わせて貰っていたんだよ。」
青年「じゃあさっきの話って...」
マスター「お待たせ致しました。私も驚きましたがどうやらそのようですね。」
老人「おや、もしかして当時のお話をこいつに?お恥ずかしい。こちら私共の孫でして。」
マスター「私も彼を見て最初は驚きました。貴方がお若くなって来られたのかと。これで合点が行きました。」
老人「こうして孫共々お世話になるとは。実はあの時妻は行方不明になっておりまして。」
マスター「おや、それは一体...」
老人「どうやらあの日からアルツハイマーになったようでして。いや、突然ではないですね。徐々に出ていた症状に私が気が付けなかっただけなのでしょうが。それで私との約束を忘れ、家も忘れ、警察に保護されていたようなんです。身元の分かるものも持ち合わせておらず...。1人で隣の県まで行っていたようなんです。」
マスター「そうでございましたか。」
老人「えぇ。それでね、ようやく見付かったと分かった時には笑顔で私に『はじめまして』なんて言うもんですから驚いてしまって。本来ならすぐにこちらにお伺いしようと思っていたのですが、なかなか来ることが出来ずに。」
マスター「いえいえ、お元気そうなお顔が見られて嬉しく思います。」
青年「僕はここに導かれて来たのかもしれませんね。」
マスター「えぇ、そうですね。」
老人「長い間お待たせしてしまいましたが、こうして予約を残して頂けてたとは、本当にありがとうございます。」
マスター「とんでもございません。」
青年「マスター、改めて僕からもお礼を言わせて下さい。ありがとうございました。」
マスター「お気になさらずに。」

マスター:それからしばらくお話をさせて頂き、御三方がお帰りになられる際に青年にこう告げられたのです。

青年「祖母は、もうあまり長くありません。それどころか、祖父も認知症を患っていて僕たちのこともあまり覚えていないはずなんです。それが何故か今日はここに来て...僕のことも覚えてくれていた。巡り合わせなんですかね。...本当にありがとうございました。」

マスター:不思議なものですね。記憶をどんどん失っていっても尚、この店でのことを覚えていて下さった。もしくは不意に思い出されたのかもしれませんが。お孫さんが今日この日にこの席に座られたのも言葉では表せない不思議な力が働いたのでしょう。私はまた使う日が来るかもしれないリザーブドの札を拭き、棚にそっとしまいました。

-END-

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