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悪口や言い訳を言わない人になるために

あの人の言い方が嫌い。
あの人のやり方が嫌い。
職場がおかしい。
時間がなかったから。
疲れていたから。
他にやることがあったから。

こんな言葉を並べることが多くなった。
自分としては「正当な理由」だと思っていたけれど、ある人の言葉でハッとした。


「もっと謙虚な気持ちを持て」と。
これを言われてから、自分は言い訳ばかりしていることに気づいた。
言い訳をしている方が、はるかに楽だったからだ。

これを受け入れるには、かなりの勇気が必要だ。なぜなら自分の不甲斐なさを認めることと等しいからだ。だから私は、さらに言い訳を並べた。認めたくないから。


けれど、言い訳ばかりでは何も変えられない。結局最終的には、「自分が変わる」しかないのだ。とてもありきたりで、シンプルで、難しい答えだ。


辞書で謙虚とは、「控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。」となっている。
私は間違っている人の意見は聞き入れられない人なので、謙虚の定義をそのまま受け入れることはできない(←それはそれで問題なのだけれど)。
けれど、相手から見たら、言い訳せずに人の言うことは聞いた方がいいというのが一般的な考え方だったりする。
では、どうすれば謙虚さを持てるのか。その答えは、「受け入れる」に鍵があるのだと思う。


さっきも言ったように、私は間違っていると思うものをとことん受け入れない性格だ。
けれど、「受け入れる」というのは、なにも「正解として捉えろ」ってことではなくて、「ひとつの意見として、自分の器に入れておく」ってことだと思う。


そうすると、謙虚さがない・言い訳ばかりしている人は、「他人の意見を受け入れられる器がない」ということになる。そうすると、「器を作る」という答えに辿り着くことができる。


では、どうすれば器を作れるのか。それはシンプルに「行動しているかどうか」だと思う。
違う角度から話していくと、言い訳というのは、「自分を守るためのもの」だ。
何から守るのか。それは、「真実」から守っているのだ。


少し想像してみよう。どういう時に言い訳をしているのだろうか。
多分こんなところだと思う。
・ちゃんと勉強しなよ、と言われたとき。
・ちゃんと仕事しなよ、と言われたとき。
・なぜできないの、と言われたとき。
・なぜやらなかったの、と言われたとき。

恐らくだが、言っている側は、謙虚さを持って聞き入れてほしいと思っている。
そして、謙虚さのない人はここで、「はい、すみません。」とはならない。
なぜなら、「やるべきことをやらなかった」ことが事実としてあるからだ。

勉強しなよと言われたときに言い訳するのは、本当に勉強しなかったから。
仕事しなよと言われたときに言い訳するのは、本当に仕事しなかったから。
なぜできないのと言われたときに言い訳するのは、できる努力をしなかったから。
なぜやらなかったのと言われたときに言い訳するのは、そもそもやらなかったから。


言い訳というのは、「やるべきことをやらなかった自分」を認められず、あたかも自分はちゃんとやったと、他人に認識してもらうために、飾り立てるものだと思う。核心を突かれたら誰だって苦しいし、言い訳する方が楽だからね。


とくれば、あとはとても簡単だ。やるべきことをやればいいのだから。
誰にだって他人に認めてもらいたい気持ちはある。
自分の努力が認められなかった時、誰だって悔しい。
けれど、自分で自分が努力したことを分かっていれば、言い訳は出てこない。
一生懸命勉強して、テストで悪い点数を取った時は純粋に悔しいけれど、勉強もしないで悪い点数を取った時、「昨日は遅くまでバイトしていたから」と言うのと同じだ。

大抵のストレスや言い訳は、行動しなかったことに起因する。
行動に移しさえすれば、そのあとはその流れに乗るだけだ。
一歩ずつでいい。よく言われている言葉を借りることになるけど、毎日1%の努力をすれば、1年後には1.01の365乗で3700%成長したことになる。
3700%努力すれば、どんな状況でもきっと言い訳をすることがなくなるし、きっともっと楽な生き方がきるようになる。


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