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尊敬する父親の15周忌を迎えて、父超えの機運が高まる

橋本です。本日、11月7日は父の15周忌です。はやいなぁ。

15年なので、上の子が1歳のときで次男も三男も会ったことがないおじいちゃんなんだけど。

俺が23歳のときだったから、55歳だったかな。早くね?

まだ社会人としてもペーペーで、でもいっちょ前に結婚して子どもが生まれてってとき。あぁぁぁ。

と、15周忌を経てやっと尊敬する父を超えられるんじゃないか。と気持ちが切り替わってきたので、振り返りつつ思いつくままに書いてみる。

▽尊敬する人=父

うちのパパは(もうパパって呼んじゃうこっちでも)、交易事業の会社で勤めていて、若くしてかなり出世し、30になるかならないかくらいで部長までいった人。

もちろん仕事は超できるんだけど、それだけではなく後輩の育成・教育がかなり評価されてた人。

でも大阪に転勤ってことになったときに、ママが難色を示し会社と喧嘩して、自営業を始めます。小1のころ。

▽自営業超忙しそうな

そのときは、サウナを設置・販売する事業を営んでいて、ホテルや銭湯にサウナを設置してたな。

現場を見て、図面を書いて、設置して、メンテして。と、何でも出来るパパらしく全部1人でやってたのね。

庭に立てたプレハブで、CADを使ったりWindowsを使ったり、一太郎を使ったり(懐かしいな)

たまにおじいちゃんが事務所で手伝ったり、ママが手伝ったこともあるけど、すぐやめてたなかも。

パパはいつも仕事で忙しくて、事務所にこもりっきりだったり、寝泊まりできるようにしてたので、家で一緒に食べたり飲んだりの記憶はあまりない。

お酒とスポーツ観戦が趣味だったので、でかいテレビでサッカーを観てたのは覚えている。

▽会社を畳んでも、できるやつはどこ行ってもできる

話は進んで中1のときに会社を畳んだんだよね。見切りをつけたというか。

で、家族は路頭に迷う…と思いきや、東京の精密機械の輸入&販売会社に、部長職として入社し、数年で支店長になります。(東京支店なため)

パパ、やべぇやつじゃん。

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