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都市社会学から考える20××年の都市構想のあり方

この数年の確かなトレンドに、「誰一人取り残さないデジタル化の実現」がある。その実現の一環として、GIGAスクール構想や、デジタルデバイドにおける格差の是正など様々な取り組みが昨今なされている。その中でも数年後の未来を考える上でははずせない取り組み・思想の一つに「デジタル田園都市国家構想」というものがある。

「デジタル田園都市国家構想」とは、「地方創生の一環としてデジタルを駆使し、都市部に負けない生産性・利便性を高め、豊かな社会を実現」を目指すものである。例えを上げるなら、田舎となると病院が少なかったり、救急救命にどうしても時間が費やされてしまう。そこで、オンラインでの診療やどこにいても診察を受けれられるようにするというものが、いわゆるデジタルを駆使し、well-beingを高めるということだ。

最終的には、この取り組みを1,000自治体に広めることを目標にしているが、この取り組みを実際に1000自治体に拡大するには、どのような思想が必要なのだろうか。

素朴な疑問なのだが、こうした疑問を抱いたのには訳がある。「デジタル田園都市国家構想」というと新しい取り組みと言われるが、こうした大規模な都市の改革は、別に目新しいものでは決してないからだ。

都市構想の中で最初の大きな曲がり角であったのは、18世半ばの産業革命であったと思っている。かつて、建築界の巨匠であるル・コルビュジエは『輝く都市』で、産業革命下の都市構想の中で、技術革新をもとに都市を作るのであれば、都市・人間・技術の相互関係という社会学的な観点が必須だと、叙述している。つまり、人間が受け入れることのできる技術を都市と融合させることで、初めて技術革新は都市の中で使われるようになる。

またデジタル田園都市というと、エベネザー・ハワードの『明日の田園都市』をいつも思い出す。この本では、産業革命以降の都市労働者の悲惨な労働環境や居住環境を改善させるため、都市及び農村の魅力を併せ持ち、均衡の取れた社会のことを「田園都市」と呼んだ。

10年後、20年後もこうした都市構想というのは、骨太政策として掲げられるであろう。しかし、人間と都市が輝くためには、技術は決して一人歩きしてはいけない。高齢化が進んでいる自治体であれば、便利すぎる革新的なデジタルはやはり扱えない。田園都市というのは、均衡の取れた社会でなければならない。都市・人間・技術の融合を幅広く考えることが必須である。同じデジタルツールでも、とある市町村は便利になったのだが、とある自治体は使いこなせず不便になったという町も増えてくるかもしれない。結局、都市改革というのはバランスがとても重要なのだ。

こういう革命的な都市改革が起こるときこそ、もう一度「誰も取り残さないデジタル化」を実現することを決して忘れてはならない。


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