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魚座という界面活性剤

魚座はよく、“境界線を越えるひと“と言われるが、厳密に言うと、“境界線をなくすひと“である。

魚座のひとと一緒にいると、何でもできそうな気がしてくる。「アレ?実は、私って自由なんだ」と気づかされたり、そこにあった筈の障害物が、いつの間にか消えているなんてことが起こる。

また、魚座と一緒にいると、大人の世界のルールや、物事をカテゴライズしている仕切りなども、どんどん溶解されていくので、気持ちが軽くなる。逆に、学歴やら肩書やらに価値を置くひとにとっては、魚座はかなり厄介な存在かもしれない。

また、有り得ない組み合わせを混ぜ合わせることも魚座にはできて、水と油のように相反関係にあるもの同士を混ぜ合わせて、新しいものを作るなんてことを得意としているひとが多い。それはちょうど、神聖なものと俗なるものを組み合わせて「祭り」をつくるようなことである。

人間でも、このひととあのひとは絶対合わないんじゃないか…という組み合わせでも、魚座のひとが介入することによって、夢のコラボレーションが実現してしまうことがある。また、全然考え方の違うひとが2人いるとして、その共通の友達が魚座だったりする。

魚座は、二面性があるのではなくて、あくまでも「ひとつ」だ。相反するものを二個の状態で持ち続けるのではなく、それらを一体にしてしまう。まさに界面活性剤なのだ。

しかも、この界面活性剤は簡単に分解できる!

要するに、「水(海)に還る」ということである。

占星術で魚座は「水」のグループに属していて、「水」が表すのは感情の世界だ。魚座は、感情という、とても原始的な世界観を拠り所としている。そのため、魚座のひとと話していると、どんどん感情が吐露されていくなんてことを経験したことがあるひとも多いのではないか。あるいは、魚座といることで、自分が子供にかえっていくような感覚がよく起こるだろう。子供の時の夢を思い出したり、「子供の頃なりたかった大人に今なれているのだろうか…」と自分を振り返ったりすることもあるかもしれない。

魚座のひとといると、仕事のミスでクヨクヨしていたとしても、「それって人生や宇宙の規模で考えるとどうってことないよな」と思わせてくれることがある。まさにそれは、海のようなスケールが大きい場所へ、物事を還してくれるということだ。それは、彼らが「現代」ではなくて「普遍」の世界に棲んでいるからだと言える。彼らの世界では、古代ギリシャも現代も同じ空間に共存しているのである。

魚座の才能のひとつに、物事を「還元する力」がある。還元とは、「元に還す」ということだけど、これは物事を原子レベル(元々の性質)まで分解するということを言う。それは、化学式の配列を断ち切る、あるいは原子と原子を繋ぐ線を溶かしてしまうようなことだ。彼らはカテゴリー分けの仕切りを取り払う一方で、物事を「コレはコレ、ソレはソレ」と、細かく分解していって、それぞれの「原子別」に性質を吟味していくのだ。

例えば、誰かが罪を犯して逮捕されたとしても、そのひとが作った曲には罪がないし、罪は罪、曲は曲として評価しますというように。あくまでそれぞれ別のものとして正当に評価していきたいのだ。

そして、魚座の物事の評価基準は、感情を揺さぶられるか否かである。その際に、例えば、人格的に問題があるひとが作った作品だった場合、作者の人格という点に感情が全て持っていかれて、作品を正当に見られないことが起こりやすい。けれど、魚座は「水/感情」の星座でありながら、特有の「還元力」のために、それぞれの原子に対して感情移入していくことができるのだ。なので、例えば「ディ●ニーのやり方が大嫌いだ、でも、映画を観たら号泣する」みたいなことは、彼らにとって、矛盾でも何でもない。

また、魚座は好きになったものを大声で叫びたいひとたちでもある。理解されようとされまいと…。魚座は、際どい表現のものやグロテスクなものでも、自分のハートに刺さったものは、どんどん公にリコメンドすることがあって、たまに物議を醸すこともある…。

基本的に、毒にも薬にもならないような、生温いものは全然好きになれないのが魚座である。

彼らは共感力はあるが、絶対に迎合しないひとたちである。魚座はよく「流されやすい」と言われるが、実際は「波に乗るのが上手」というべきである。そして、彼らが一切の妥協なく、「これだ!」という波を待っていることは、あまり知られていない。

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