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“希望の国の言葉” 【牡牛座の物語】

アイスランドの冬は長くて、暗い。

日照時間が少ない上、昼間でもさほど明るくなることはなく、12月にはほとんど日が昇らない極夜の状態を迎える。

それでも4月になれば、少しずつ日は長くなり、辺りの雪は溶け始め、アイスランドの地に緑が戻ってくる。そんな、春の兆しが見え始めた頃、ヨンシー・バーギッソンは生まれた。彼は生まれつき眼神経に損傷があり、右眼の視力がなかった。

たとえ視界が閉ざされていても、闇の中にある音が光となって、私たちを導いてくれることがある。
あるいは音だけでなく、手触りや香り、風味の中にも、私たちは「輝き」を感じるとることができる。

ヨンシーは、最近では音楽のキャリアの傍ら、パフュームの調香も行っている。
彼は、数少ないインタビューの中で、調香についてこのように答えている。

「香りが好きだ。歌うことと同じように、嗅覚だって鋭敏に鍛えていくことができる。少しずつ鼻が良くなって、香りの違いがわかるようになってきた。香りも音楽も目に見えない。僕はそういうものが好きなんだ。」

現代人は、何か情報を得ようとするとき、視覚ばかりに頼りがちである。
実際、現代の都市生活では、視覚情報だけでも危険を回避してゆくことができる。
例えば、腐った物を食べたくなければ、パッケージに記載されている賞味期限を見ればいい。
しかし、牡牛座のひとは、この現代においても、記載された賞味期限ではなく、実際その食べ物の匂いを嗅ぐことで、食べられるかどうかを判断しているひとが多いようだ。
そして、彼らはその表示が期限内であろうと期限後であろうと、自分の嗅覚の方を信じることだろう。

嗅覚は、五感の中でただひとつ、「原始の脳」と呼ばれる大脳辺縁系に直結している。
だから、香りを感じると、まず、「快・不快」「好き・嫌い」の感覚が生じる。また、同じ大脳辺縁系には記憶を司る海馬があり、香りは記憶にも瞬時にアクセスする。
そして、大脳辺縁系から大脳新皮質という思考や理性を司る部分へと香りの情報が下りてきたとき、はじめて「これはオレンジの香り」とか「カレーの香り」といった言語による分析が行われるのだ。

牡牛座には、五感が全て同じ比率で強いひとが多いように思うが、特にこうした嗅覚の仕組みは、牡牛座の性質そのものだと思う。
つまり、「快・不快」「好き・嫌い」の感覚が理屈に先立つという性質である。

牡牛座のひとは現実的であるが、例えば現実で起こっている出来事でも、自分と物理的に距離があるものに対しては興味を持ちにくかったりする。彼らは、自分の身体から距離が近いもの、つまり、身近なことにこそ関心があり、エネルギーを注いでいこうとするのだ。身近というのは、五感が届く範囲と言ってもいいかもしれない。

ただし、それは決して、牡牛座のひとが外へ出て行かないということを意味するのではない。
例えば、牡牛座のひとが海外に行ったとすると、その場所の情勢や風潮よりも、そこで実際に体験し、感じたことを大切にすると思う。
そのため、牡牛座のひとが持ち帰る土産話は、現地の生活感を感じさせる話や、自分の泊まったホテルのことなど、「居心地」に関する話が多かったりするのだ。

牡牛座のひとは、五感が鋭いと言いながら、五感以上のものをも感じとっていることがよくある。
例えば、彼らは場の「雰囲気」といった曖昧なものに対して、すごく強い感受性を持っている。
私は、こうした「雰囲気」を感じる感覚は、牡牛座特有の「触覚」の仕組みなのではないかと考えている。
というのも、牡牛座のひとは、視覚や聴覚を使うときでも、「触覚」とセットになっているように思われるのだ。

例えば、虫が嫌いなひとが、虫を《見た》だけでその「感触」を感じてゾッとしてしまうとか、あるいは、心地よいメロディを聴くと、柔らかいブランケットに包まれているように感じたりするとか、そういうことが牡牛座のひとには多いように思う。
匂いだって、レモンやミントの香りに冷たさを感じたり、土の匂いに熱と重みを感じたり、彼らは、香りの中に温度や重さも同時に感じとっているようだ。
また、食べ物についても、牡牛座の人々は「食感」に強いこだわりを持っているひとが多いと思う。おにぎりの海苔は巻きたてのパリパリがいいとか、天ぷら蕎麦の天ぷらがサクサクでないと嫌とか、あるいは、ちょっと出汁が染みてるぐらいが良いとか…。
質感へのこだわりは、とても牡牛座らしい感性である。彼らは、触れるように見たり、触れるように聴く。

私は、場の「雰囲気」を感じることは、いわば、視覚や聴覚や嗅覚で得られるその場の情報を、肌で味わうことだと捉えている。五感は、常に相互に、あるいは統合的に作用する。だから、触れないものでも、他の感覚を使うことによって、質感を得ることができるのだ。

「肌感覚」という言葉がある。
これは、実際に自分自身が直接感じる感覚のことで、個人的であるけれど、最も具体的な評価基準と言える。
しかし、世界は多様で、現代では多様な人々がひとつの場所に集まるようなことが起こる。
そのため個人差が出やすい「肌感覚」ではなく、よりユニバーサルな「数字」という記号を使って、画一的な評価を行う。それによって、「肌感覚」は、現代社会では曖昧なものとして軽視されがちである。

また、「肌感覚」というものが、様々な経験の中で、自分の感覚がどのようにリアクションするかを観察することによって育まれていくものであるから、感覚に注視する機会が少なくなれば、それは信用できるレベルまで育つこともない。
それゆえ、「数字」の評価に依存している現代人の肌感覚の精度は疑わしいものとなっていることも事実である。

牡牛座の人々は、日々の暮らしの中で感じることをその皮膚のレイヤーに組み込んでいく。
彼らは、見たり、聞いたりしたことでも、「触覚」の記憶として保存している可能性が高い。
そして、肌に蓄積された感覚の記憶は、彼らにとって、他のどの基準より実質的で確実性の高いものとなるのである。

『土』のエレメントである牡牛座、乙女座、山羊座は実質的であることをとても重視する。

乙女座は、コミュニケーションや言語を司る〈水星〉が守護星であり、[柔軟宮]という流動的な性格のグループに属している。
そんな乙女座は、思考の中に『土』の実質的な性質が現れる。そのため、実用的なアイデアや合理的な理論を構築すること、あるいは自然の中で知恵を得るといったことが、乙女座の得意分野となるだろう。

山羊座は、法を司る(物事を構造化する)〈土星〉を守護星としていて、[活動宮]という性質のグループに属している。そのため山羊座は、思考やアイデアを、形あるもの(あるいは目に見えるもの)にするという実質性を持っている。
芸術作品、建造物、物語世界、法律など、山羊座は様々な創作に関与しているけれど、空想やアイデアといった抽象を具体化するということが山羊座のエネルギーなのだ。

牡牛座は、美を司る〈金星〉を守護星としていて、[不動宮]という固定のグループに属している。それは、揺るぎない自分の評価軸である感覚や美意識を持つことを意味している。
そもそも感覚というのは、「快・不快」を分けるもの、つまり、美を評価する役割があるのだ。
さらに、その「快・不快」は、生存欲求に紐づいている。

感覚が思考に先立つということ、あるいは思考の根源に「快・不快」の感覚があるということは、人間と人工知能を分つ大きな違いと言える。
私たちの知能は、生存欲求に基づいた「感覚」に紐づいているけれど、人工知能は計算によって編み出された「合理性」に紐づいている。

牡牛座は、現実的ではあるが、必ずしも合理的であるとは限らない。
なぜなら、牡牛座の人々が唯一神として崇めるのは、彼らが体内に培った「感覚」だからだ。そして、その信心は、とても深い。

彼らは、世界を記号に変換することなく、ありのまま感知する。
いわば、牡牛座のエネルギーは、整数で表現することのできない「地続きのムーブメント」、つまり、アナログの世界観なのである。

テクノロジー?シンギュラリティ?
私たちに生存欲求がある限り、人工知能にとって変わられることなど、何も起こりはしないことを牡牛座のエネルギーは教えてくれる。
ただし、生存欲求がある限り、である。

シガーロスの曲で『Gobbledigook』というタイトルの楽曲がある。英語で、「意味不明な言葉」という意味の“Gobbledygook”という言葉があるけれど、この曲のタイトルは、微妙に綴りが違っている。
ヨンシーは、魅惑的なファルセットボイスで流れるように歌うのが特徴的であるが、その歌詞はしばしば理解しづらい。アイスランド語なのか、英語なのか。また、彼は、言葉を勝手に作ってしまうこともよくあるのだ。
彼は、自らの扱う言葉を“Hopelandish”(希望の国の言葉)と呼んでいる。
彼は、インタビューで自身の創作について、次のように答えている。

「これまで僕たちはたくさん傷ついてきた経験がある。でも、僕はその傷と共に居られることをとても光栄に思っているし、気に入っている。僕たちは、世界にある傷や悲しみや怒りのエネルギーを、音楽を作ることや創造することに注いでいくことができるんだ。癒しの手段として。」

「希望の国の言葉」は、言葉以前の場所から発せられ、言葉を超えていく。

夜空で最も美しいと讃えられるプレアデス星団は、牡牛座の中にある。
古来の日本でも、枕草子で清少納言が「星はすばる」と称した、そのすばるこそ、プレアデス星団である。
世界においても、宇宙においても、全ての美しいものは牡牛座の中にあるのだ。
なぜなら、美しさとは、「感覚」なのだから。



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