「・・・四六年に国境問題でメキシコとの戦争が始まり、アメリカ軍は勝ち続けて、メキシコ・シティまで占領してしまったからである。これは明らかにアメリカが挑発して始められた戦争だったが、勝利に終れば国民はその原因をつきとめたがらない。はっきりとそのときのポーク大統領を批判したのは下院議員リンカンの他一、二名で、六◯年に共和党の大統領候補となったとき、リンカンはこう書いた。

「私が思うに、メキシコ人の間に軍隊を派遣した行為は、憲法違反でありました。メキシコはいかなる点でも合衆国やその人民を苦しめたり、脅かしたりしてはいなかったからです」(37)

 このようにアメリカは、国家として一見合法的にみえるような形をとりながらも、実質的には隣国侵略の膨張政策をとったのだ。四五年七月、「USマガジン・アンド・デモクラティック・レビュー」誌にジョン・オサリヴァンが、“マニフェスト・デスティニー”(明白な天命)という表現を使って、この膨張を正当化した。アメリカがこのように膨張を続け、デモクラシーを広めていくのは、神から与えたれた天命だというのである。

 この選民思想による使命感は、やがて西部全域でインディアンが抵抗できなくなるまで虐殺し、さらに太平洋上の島に及び、アジアにも広がろうとする。ベトナム戦争の最中に反戦論者たちが、インディアン虐殺の西部劇を盛んに上演したのは、まさにこうした関連を批判してのことだったのである。」

猿谷要『物語 アメリカの歴史 超大国の行方』中央公論新社 1991 p88〜89

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