「性格が悪い」から逃げられない

私は性格が悪い。
性格を良くしようと何度頑張っても、何度も引き戻されてしまう。
優しくなろうと頑張る度に損をしてきたから。

家庭環境は最悪だった。みんな家の外では取り繕って我慢して、そうして溜めたフラストレーションを家族の中で一番格下な私へぶつけていた。家の中での会話に世間話はほぼ無く、怒り、言い訳、意地悪ばかりだった。トラブルがあると確認の前にまず誰かに狙いを定めて怒鳴るのが常だった。私は正しい会話も正しい価値観も知らなかった。

小学校で初めて友達ができた。会話は教育ビデオで聞いた内容やアニメで聞いた内容を頑張って真似した。仲良くなりたかったけれど徐々に会話が合わなくなり、だんだん同じ部屋の中で私だけハブられて「嫌なら帰れば?」とか言われるようになった。友達はとても育ちが良くて明るくて楽しい子で、私とは全てが違いすぎた。

小学3年生から6年生まで一緒に遊んだ子達はそれぞれ暗い何かがあった。家族に構ってもらえない虚言癖の子、母親がキツくて緊張のあまり書痙と場面緘黙になっていた子、両親が新興宗教の子。私はその中でもお荷物な扱いだったと思う。先生の目も親の目も無い遊びの空間で私はずっと仲間外れにされたり、鬼ごっこの鬼を延々とやらされて途中から皆がどこか別の場所へ行ってしまい自転車の鍵も返してもらえなかったり。本質的な優しさを知らなかった私はせめて温厚な人であろうと、従順な人であろうと頑張っていたけれど限界が近かった。学校は安全だったから放置子の男子に箸の持ち方とかを教えたけれど「付き合ってんの?(笑)ヒューヒュー」とか馬鹿にされていた。

優しさには元手が必要だ。中学でも高校でもその後も、私は優しくなるための、人格の元資金を手に入れられなかった。たぶんずっと、私は口が悪かった。

思春期から私の足を引っ張ったのが病気だった。いつの間にか発症した統合失調症が徐々に悪くなり、人と関わる時の距離感もどんどん狂っていった。もう誰がどんな気持ちなのかも判別つかなくなった。

成人して派遣社員になり一人暮らしを始めた時、今度こそ良い人になると誓った。弱音を吐かず、キツい産廃処理の部署へ飛ばされても続けて、仕事仲間となるべく世間話をして、たくさん謝って。しかし貯金しようと節約するあまり私の不健康は加速して、仕事で大きなミスを繰り返し、たくさん怒られた。最後の職場は皆が良い人ばかりだったけれど飲み会ではセクハラが横行していたのが思い出深い。以前にも同じ職場に統合失調症を発症した人がいたそうで、退職する時に「あなたは暴れない大人しい人で良かった」と言われた。

精神科の医師の薦めもあり、何もできない廃人になった私は実家暮らしに戻った。何度も意識が混濁する中で何度も暴言を吐かれ何度も殴られた。それから何年もかけて私は少しずつ回復していって、今の職場へ障害者雇用のアルバイトとして就職した。

最初は明るく振舞った。でも出来ない事があまりにも多くてすぐイジメが始まった。嫌がらせを何度もかわして数ヶ月経てばフェードアウトした。しかし暫く経つとまたイジメが再開する。特にコロナ禍になった直後が酷くて、皆で手分けしてやるコロナ対策の清掃を私1人に全て押し付けられてチェックシートの判子だけ皆が押していた。「判子押す係をウチらがやってあげたから掃除するのは全部よろしく、やらなかったらサボりだからね、上司に言うからね」って。皆も忙しいからと笑顔で引き受けていたら心身に限界が来てコロナ鬱になり風呂に入れなくなり、そしたら上司が私に退職届を書かせようとしてきた。さすがに私は怒った。

我慢しない、我慢できない時は怒る、という行動を覚えた。引き受けないという事を覚えた。たぶん人が求めていた優しさというのは優しさではなく、明るい声とかだったのだと思う。

仕事以外でも優しくするのは世間話だけになった。脳機能の低さは小売業の店員にバレるらしく「脳にハンデがあって温厚」だと知られるとナメた商売をされた。

短い期間、とても大事にされた時期がある。髪に縮毛矯正をかけた時だ。職場でもプライベートでも周囲の態度がガラッと変わった。それでメルカリで買った浴衣を着て歩いたら行く先々で褒められた。店員の受け答えも今までに見た事が無いくらい丁寧だった。健康状態が悪化してお金の減りが激しくなり、縮毛矯正をかけられなくなって服も体調優先になって元に戻った。

いつか良い人に囲まれる世界へ行きたかった。
でも私はもう、無理かもしれない。
ずっとこうして性格を悪くして生き抜いていくしかないんだ。