長編小説[第7話] ネクスト リビング プロダクツ ジャパン
当たり前の努力
「アロエベラドリンク100」
「100」
「ハンドクリーム60」
「60」
「ウェットティシュ40」
「20・・・、結構足りないね、なんだろう?」
「そういえば、本部から何かメッセージが来てた気がします。まだ中身読んでないんですけど、もしかしたらこれの事かも。ちょっと待ってくださいね・・・。」
私、星光(あかり)は、渚(なぎさ)さんと一緒に、商品の受け入れ作業をしていた。
導(みち)さん宅にある4畳程の立派なウォークインクローゼットは、ネクプロ商品の倉庫として使われている。壁一面はマッキーペンでメモ書きされた段ボールが積まれ、引き出しを開けると、イベントやセミナーで使う備品の数々が顔を出した。
そんな倉庫と会議室のような部屋の片隅を行ったり来たりしながら作業を進める。これを本業の仕事終わりにやっているんだから、私達の体力と気力は、相当なポテンシャルだと思う。
スマホのメッセージ通知が光る。画面を開くと、表示された現在時刻を見て驚いた。深夜1時、良い子はもうおねむの時間だ。私はメッセージの差出人だけを確認すると、中身を読まずにそっと画面を閉じた。
一仕事終えた私達は、会議やイベントに使われている大きなテーブルの片隅で、雑に椅子に腰掛けながら、缶コーヒーを飲んでいた。導さんと奥さんは出張で都内まで出掛けているから、部屋には私達2人だけだ。私も渚さんも、明日は本業の仕事がお休み、それだけが救いだった。
気の抜けた余白のような時間が流れる。
「星光(あかり)ちゃんは、どうしてネクプロに入ろうと思ったの?」
渚さんが少し疲れたような声で、ゆっくりと私に問いかけた。
頭が上手く回らない私も、どうにか言葉を探しながら、その問いにゆっくりと答える。
「たぶん、仲間が欲しかったんだと思います。」
コーヒーを口に含んで飲み込んで、それから私は言葉を続ける。
「あと、収入が今より少しでも増えたらいいなと思って。」
「増えた?収入。」すごくスローなテンポで渚さんが問いを重ねる。
「ちょっとだけ。後5年くらい頑張れば、ネクプロ主催のハワイツアー、同行できるかもです。渚さんは、どうして?」
「どうしてだろうね・・・。」
渚さんは缶コーヒーを握りしめながら少し遠くを眺めた後、ポツリと雨粒を落とすように、静かに言葉を続けた。
「確かめるため、かな。」
辺り一面の時間が止まったように静かになる。そして次第に、時計の秒針の音だけが、うるさく鳴り始めた。
暫くの沈黙の後、渚さんは、ポツリ、ポツリと静かに語り出した。
「ネクプロをやってみて分かったんだ。ネットワークビジネスは、入り口でいっぱい夢を見させられる。ドバイに行きたいだとか、痩せてビキニでナンパされたいだとか、そういうなんて事ない夢を、いっぱい。そんなの欲を満たすための手段でしかないのに、まるでそれが人生の目的であるかのように仕立てられていく。」
渚さんの話に、私はただただ、呑まれていく。
「夢を叶える為にはお金が必要。今の努力を続ければ、いずれ不労所得が生まれて、働かなくても食べていけるようになる。だから、今だけは努力して・・・。
それが、ここのやり方なんだろうなって、分かってきた。」
「私達は、洗脳されてるんだと思うよ。努力をすれば結果が出る。夢は叶える為にある。今という時間を未来の夢の為に投資しなさいって・・・。」
渚さんは深く深呼吸をして、それから、はっきりとした言葉で続けた。
「今に幸せを見出す事の方が、投資なんかよりも何倍も大事。私はさ、そう思うんだよね。」
渚さんの言葉達が宙に浮く。
私は自分の奥底から湧き出る感情を、無理やり言葉に変換していった。
「努力しようって思える対象があるのは、私にとっては救いです。こうやって深夜まで作業するのはキツいけど、誰かと一緒に作業できるのは、楽しいです。自分ここまでやれたんだって、なんか一皮向けたかもって、達成感もあるし。」
一呼吸置いて、私は話を続ける。
「それに、私も信じたいです。今の自分が頑張れば、未来の自分は、きっと自由に遊んで暮らせてるって。」
渚さんは天井をぼーっと眺めながら、何かを考えているようだった。
「ハワイのビーチでビキニ着てナンパされたいの?」渚さんが私を茶化す。
「はい。あごヒゲの生えた、とびっきり爽やかなイケメンに。」
「私、『あごヒゲ』と『爽やか』は対義語だと思ってる。」
「そんな事ないです。渚さんは、爽やかなあごヒゲの存在を知らないだけですよ。」
渚さんは頬を膨らませながら唇を尖らせると、何かの糸が切れたように笑い始めた。私は一緒に笑いながら、そんな渚さんの事を、ちょっと可愛い人だなと思った。
いつからそこにいたのだろうか、渚さんの隣の椅子に、あの黒髪ロングのクロちゃんが、何食わぬ顔で座って、一緒に笑っていた。
電気を消そうと倉庫に向かうと、チラシにまみれた棚の下に、一冊のノートが落ちているのが見に止まった。
『日記帳。佐々木 彩芽』
横にいた渚さんの顔がこわばる。
好奇心に負けて、私はその日記帳の真ん中らへんのページを開いた。
『死にたい。理由はわからない。私はこんなにも恵まれているのに。ネクプロのみんなに、迷惑をかけたくない。だけどもし、不安定な私の存在が迷惑だったのだとしたら?・・・』
日記を閉じた私達は、目を見合わせて、暫く言葉を失った。
それからふと隣に現れた人の気配を追っていく。そこには、少し悲しそうな顔をしたクロちゃんが、ひっそりと佇んでいた。
「彩芽さんってもしかして・・・」
「今日はもう帰ろうか。」
そう言って渚さんは、私の言葉をかたく封じた。
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